朝鮮民主主義人民共和国の核実験にあたってのハンクネットの声明

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朝鮮の子どもたちに粉ミルクを支援している、日本人と在日朝鮮人朝鮮籍韓国籍)のボランティア団体「朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(略称:ハンクネット)」は、「朝鮮民主主義人民共和国の核実験にあたっての声明」を発表した。以下、転載する。


 *


西暦2009年6月18日
朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)


朝鮮民主主義人民共和国の核実験にあたっての声明


先月25日に朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)が実施した核実験に対し、日本・アメリカ両政府が制裁の強化を発表し、また韓国政府も含めて軍事的包囲網の強化も検討されている。我々、朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット) は軍事的緊張と制裁の弱者への悪影響を憂慮し、以下の様に各界に呼びかける。


<安保理と六者協議>


日本政府などは核実験を六者協議で交わされた合意違反だとしているが、2005 年9月19日に北京で発表された共同声明にもある通り、一連の六者協議で目指されていた「朝鮮半島の非核化」は南北朝鮮における非核化を言うのであって、朝鮮のみが義務を負うべきものではない。在韓アメリカ軍の核武装問題を脇において朝鮮のみが核無能力化の検証を求められる根拠は無い。現在の圧倒的な軍事力の差を鑑みても、不可侵の保証のないところでそれはあまりに非現実的・非対称的である。


そもそも朝鮮側の核開発計画の申告に対し、約束された経済協力が実施されておらず、関係諸国が行動対行動の原則を反故にしている。日本政府が拉致問題を口実に、国際的に約束した20万トンの原油供与を反故にしている事も、事態を一層悪化させている。


今回の核実験の直接の引き金となったのは朝鮮のロケット発射を非難する国連安保理の議長声明であるが、これは主権国家の宇宙利用の権利を侵害するものであり、理不尽と言うしかない。宇宙の平和利用は国際法上すべての国家に平等にあるとされており、先般の声明はそれを否定するものである。


また日米両政府や日本のマスコミは朝鮮の人工衛星打ち上げを国連安保理決議違反だとも主張しているが、安保理の判断が常に普遍的で公正だとは言えない。かつて「大量破壊兵器保有」という根拠の無い情報を元にアメリカがイラクを侵略したが、これに対し安保理は一言でも非を主張したことがあっただろうか。このような不正義・不道徳が不問に付されている一方で、朝鮮の行動はそれが国際法にのっとったものであっても問題にしているのだ。更にアメリカ及び「国連軍」と朝鮮は未だ休戦状態であることも忘れてはならない。


また、日本の国連外交のダブルスタンダードにも問題がある。日本は国連規約人権委員会での戦時性奴隷制(従軍慰安婦)問題に関する勧告を「法的拘束力が無い」として無視しているが、その一方で朝鮮を安保理決議違反と非難し、安保理において朝鮮に対する制裁強化を働きかけているのだ。


更に、核大国であるアメリカなどの安保理常任理事国が朝鮮などによる核拡散を本気で懸念するならば、まず自らが核軍縮を実行するべきであろう。


<核兵器と日本>


日本のアジア侵略に端を発した太平洋戦争の末期、アメリカは世界で初めて広島・長崎に原爆を投下し、植民地出身の朝鮮人も含む多くの人々を無差別に殺戮した。敗戦後の日本は、侵略を反省して近隣諸国との和解に取り組むとともに、アメリカによる原爆投下という非人道的行為を国際社会に告発し、核廃絶に取り組むべきであった。ところが日本は反共と「国体護持」の為にアメリカと安保条約やいわゆる沖縄密約を結んで核の傘に入り、東北アジアの緊張激化と核戦争の脅威を与えてきたのだ。


このような欺瞞に満ちた戦後日本が、侵略の過去を清算しないまま朝鮮に対して核兵器の非人道性を説いたところで、何の説得力もない。朝鮮の人々にとっては、日本こそがアメリカによる「核の脅威」を支えてきた張本人なのである。


2006年の朝鮮の核実験の際は、日本政府ばかりでなく、日本の平和運動反核運動勢力の多くは、こうした戦後の安保体制・核政策の欺瞞から目をそらし、朝鮮非難の声一色に染まった。アメリカ・フランス・インド・パキスタンなどの最近の核実験に対する反応との大きな違いは、日本人がいまだに朝鮮に対する植民地主義的な差別意識を根強く抱いていることのあらわれだろう。


日本の平和運動反核運動勢力は、朝鮮を一方的に非難する前に、朝鮮を核開発に追い込んだアメリカの核の傘と安保体制を解体できないでいる自らの力不足を反省すべきだろう。


<失われた平和主義>


一方日本の政界では今回の実験に過剰に反応し、自民党民主党の一部議員が朝鮮に対する「敵基地攻撃論」「核武装論」を唱えている。しかし、日本はすでに朝鮮に対して軍事的に圧倒的な優位に立っていることを忘れてはならない。


そもそも先制攻撃は言うに及ばず、実質的な軍隊である自衛隊の存在こそが明白な日本国憲法違反である。憲法前文及び九条に規定された武力の放棄と不戦の誓いは、アジア諸国に対する侵略への反省から生まれたものだったが、朝鮮戦争での対米協力を理由にそれはなし崩しにされてきた。朝鮮の核武装は、日本が侵略戦争への反省を忘れて、平和憲法をないがしろにし、軍事力を増強し続けてきたことの必然的結果でもある。


このことに気づくなら、核兵器の廃絶と東アジアの平和のために日本がとるべき道は、先制攻撃でも制裁強化でもないことは明白だ。朝鮮を始めアジア・太平洋諸国の人々を蹂躙した侵略戦争の歴史を真摯に反省するという日本国憲法の本旨に則って、自衛隊を解体し、日米安保条約を破棄し、在日米軍を撤退させることにより、周辺諸国の不信を解くよう努力する以外にはない。


特に朝鮮に対しては、植民地支配の反省と清算は全くなされておらず、それどころか日本政府・社会は戦時性奴隷制や強制連行の事実を隠蔽しようとしてきた。直接の被害者は高齢化が進み、彼ら/彼女らに罪を詫び、報いるための時間はあまり残されていない。日本政府はすみやかに朝鮮と国交を結ぶとともに、国家賠償と個人補償、被害の調査を行うべきである。


<制裁の影響>


日本政府は金融取引を中心に制裁の強化を検討するとしているが、これまでの経過からもわかるように、朝鮮政府がそれに屈服する見込みはない。制裁は問題解決になんら寄与しないどころか、弱者を苦しめるだけである。既に人と物資の移動が大幅に制限され、在日朝鮮人の親族訪問や仕送りに支障を来している。特に万景峰92号の日本寄港が禁止されているため、訪朝ルートは中国経由の飛行機便に限られ、高齢者の祖国訪問も困難になっている。植民地支配の結果、日本での生活を余儀なくされた在日朝鮮人を故国と切り離すような非人道的行為は、許されるものではない。


制裁は、朝鮮国内の社会的弱者に対する人道支援をも阻害している。我々ハンクネットは日本から朝鮮の子ども達へ粉ミルクの直接支援を行っているが、直行の航路が断たれているために中国経由で支援物資を送らざるを得なくなっており、数十万円の輸送費と数週間の時間が余分にかかっている。また、スタッフの朝鮮訪問の際の渡航費もかさむ。だが我々は日本政府がどのような障壁を設けようが、人道的必要性があるかぎり、支援活動を継続してゆく。


日本政府による制裁など一連の朝鮮バッシング・朝鮮総連在日朝鮮人に対する弾圧は、何より日本人の心を蝕んでいる。マスメディアによる政府発表の無批判な垂れ流しは、朝鮮人に対する日本人の差別意識を煽り、在日朝鮮人に対する暴言・暴行などの憎悪犯罪が懸念される。


マスメディアは第二次世界大戦前に大本営発表を垂れ流して日本人を侵略に駆り立てた歴史を、繰り返してはならない。日本政府の対朝鮮敵視政策に追従して朝鮮総連在日朝鮮人に対する憎悪を煽るようなセンセーショナリズムを排し、冷静な事実認識のもとに、排外主義的な言動に対する批判的観点を持って報道にあたるべきだ


最後に在日朝鮮・韓国人と良心的な日本人市民に訴える。我々がいま最も心がけなくてはならないことは、足元で憎悪犯罪が起こるのを防ぐことだ。たとえ国籍は別れていても、すべての在日朝鮮・韓国人は同じ歴史を共有する兄弟であり、日本人にとってもかけがえのない友人である。一つのマイノリティーに対する弾圧は、別のマイノリティーに対する弾圧を呼び、最後は社会全体がファシズムに飲み込まれていった歴史を思い起こそう。いまこそ沈黙を破り、連帯し、日朝の友好のために行動しよう。


<参考エントリー>
「核実験の日、ピョンヤンにて」―朝鮮はなぜ核実験をしたのか
人工衛星「光明星2号」の打ち上げと日本の朝鮮蔑視感情

日本人の朝鮮語、朝鮮人の日本語――むすびつける ことば、きりはなす ことば


ちょうせんご(朝鮮語)の ほんやくを していると、ときどき ざいにち・ちょうせんじんから 「いいもの よませて くれて ありがとう」などと おれいの ことばを もらうときが ある。



そんなとき、うれしい きもちが ないではないけど、その いっぽうで こころぐるしいような もうしわけないような きもちにも なる。


なぜ ざいにち・ちょうせんじんが ちょうせんごの ほんを そのまま よめないのか。そして、にほんじんによって にほんごに ほんやくされた ものを よまなきゃ いけないのか。 それは にほんじんが ざいにち・ちょうせんじんから ちょうせんごを うばって にほんごを おしつけて いるからだ。


 *


わたしが ちょうせんごを まなぶことが できたのは、ちょうせんじんが ちのにじむ どりょくを し、あるときは もじどおり いのちがけで、にほん・ていこくしゅぎ(日本帝国主義)から ちょうせんごを まもり そだてた おかげだ。*1


そして わたしに ちょうせんごを まなぶだけの じかんと けいざいてき よゆうが あったからだ。


その かげで、ざいにち・ちょうせんじんの おおくは、にほんが せんそうに まけて そこくが かいほう(解放)されて からも、いきる ことに いそがしく、みんぞく・きょういく(民族教育)も だんあつされて、ちょうせんごを まなぶ ことが できなかった。*2


 *


にほんごに ほんやくしたとしても よめない ひとたちは いる。まずしくて せいかつに おわれ、にほんの がっこうに かようことも できなかった ざいにち・ちょうせんじんの ハルモニ(おばあさん)は おおい。そうした ひとたちにこそ よんで もらいたい ほんも あるのだけど、かんじ・かなまじりの ふくざつな にほんご ひょうきの かべは あつい。*3


もじの よみかきが できること。 ほんが よめること。 これは あたりまえの ことでは ない。 とっても ぜいたくな ことなのだ。 にほんが きんだいか(近代化)した けっかなのだ。 そして、にほんの きんだいかは、ちょうせんを しょくみんち(植民地)に したことと うらおもての かんけいに ある。


つまり――ざいにち・ちょうせんじんの おおくが ちょうせんごが できず、にほんごの よみかきも ままならない ひとたちが いること。そして、にほんじんである わたしが なんの ふじゆうも なく にほんごを よみかきし、ちょうせんごも できること――これは かんけいのない べつべつの ことがらでは ない。うらおもての かんけいに ある、ということだ。 にほんが ちょうせんを しょくみんちに した れきしの、ひとつの あらわれなのだ。


 *


わたしと ハルモニたちは、ひとつの れきしに よって せなか あわせに しばりつけられている。

 

*1:1931年に設立された朝鮮語学会が定めた朝鮮語正書法と標準語は、現在も南北朝鮮の言語政策の基礎となっている。同学会は1942に治安維持法違反で33人が検挙投獄され、2人が獄死(朝鮮語学会事件)。この事件で学会は解散し、編纂中だった朝鮮語辞典の原稿の相当部分が紛失した。

*2:解放後の民族教育弾圧の事例として、1948年の阪神教育事件がある。朝鮮人が自主的に設立・運営する朝鮮学校を日本政府がGHQの指令を口実に実力で閉鎖した。警官隊の発砲で当時16歳だった金太一少年が死亡した。http://www.ne.jp/asahi/m-kyouiku/net/50syuunen.htm http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/03/0803j0421-00001.htm 現在も民族学校各種学校扱いとされており、進学や税制などさまざまな不利益を被っている。http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/02/0802j0331-00001.htm

*3:たとえば朝鮮新報の記事『女性同盟大阪 生野東支部の1世同胞女性ら 9年かかって夜間中学を卒業「一度だけ学校に通いたい」』http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0408-00001.htmを参照。また、在日朝鮮人のための識字学級「オモニハッキョ」についてはid:F1977さんのブログに詳しい。

「核実験の日、ピョンヤンにて」―朝鮮はなぜ核実験をしたのか

 

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今日(25日)午前、朝鮮民主主義人民共和国は「自衛的核抑止力を強化するための措置の一環として、25日に地下核実験を成功裏に実施した」と発表した。
http://www.asahi.com/international/update/0525/TKY200905250143.html


これでまた、うんざりするような憶測報道と朝鮮バッシングが続くのだろう。

 
しかし、朝鮮戦争アメリカは朝鮮に核攻撃をするといって脅迫し*1、先制攻撃ドクトリンはいまなお放棄されていないこと*2、冷戦時代のようなソ連の後ろ盾を朝鮮が失ったことを思えば、朝鮮が独自の「核の傘」を構築し、それを背景にアメリカに対して対等な立場で核軍縮交渉と平和条約締結を進めようとするのは、あまりにもわかりやすい合理的な行動といえる。


これがわからないとすれば、日本人が「アメリカの核に守られた平和憲法体制」という矛盾した状況に長く浸り、国際政治を見る現実的な目を曇らせ、合理的な思考を腐らせてしまったことと、いまだに朝鮮を対等な国家として認められず、「朝鮮のやることはすべて理解できず、許せない」という差別的・植民地主義的思考から抜け出せないせいだと思われる*3
 
このような日本側の身勝手な思考に乗っかったまま、いくら口で「核実験反対」を唱えたところで、現実を変えることはできない。朝鮮側に核を必要とさせている、この不均衡で不正義な世界と日本のあり方を根本的に変えることこそが求められているのだ。


ところで筆者は、2006年10月の朝鮮初の核実験の日、ちょうどピョンヤン平壌)に滞在していた。そのときに雑誌に発表した手記を、この機会に再掲しておきたい。核実験当日の日常の風景から、朝鮮がなぜ核実験をしたのか、その一端を理解していただけたらと思う。


核実験の日、ピョンヤンにて




朝鮮民主主義人民共和国の核実験が行われた(2006年)10月9日、私はたまたま平壌ピョンヤン)でそのニュースを聞くことになった。新たな核保有国の出現という歴史的な瞬間を現地で体験した数少ない日本人のひとりとして、見たまま聞いたままを記録しておきたいと思う。
 
10月7日午後、朝鮮の子どもたちに粉ミルクを送るボランティア団体「ハンクネット・ジャパン(朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン)」の一員として、私は中国・瀋陽経由で平壌に到着した。
 
空港で私たちを出迎えてくれたのは、朝鮮対外文化連絡協会の担当者R氏だ。「お久しぶりです」。にこやかな顔が、心持ち日焼けしている。聞いてみると、毎週金曜日は職場総出で近郊の農村に援農に出かけるのだそうだ。
 
平壌市内へと向かうバスのなかから、風景に目をこらす。道路の両側に広がる水田は、7分ほど刈り入れが終わり、あちこちに稲藁が積み上げてある。都心に近づくにつれ、人と車が増えてくる。車は年々増えている印象だ。私たちを乗せたバスは日本製の中古だった。運転手にガソリンの値段を聞いてみる。
 
「15kgで15〜16ドルといったところですね」
つまり1リットル約120円前後、当地の物価水準からすればかなり高い。
 
8日は板門店を訪問した。検問を通って、非武装地帯に入る。軍事分界線の近くにも田畑が広がり、農民たちが稲の刈り入れをしたり、牛で畑を耕している。道ばたで車座になって弁当を広げる人々の姿も見られた。車窓から見下ろすと、大振りの弁当箱に米の飯がぎっしり詰まっていた。
 
共同警備区域(JSA)に足を踏み入れると、軍事停戦委員会会議場のバラックが立ち並ぶ、おなじみの光景が広がる。だが、南側地域には韓国兵や米兵の姿は見られず、拍子抜けした。案内の将校によれば、最近、北側から民間人が来たときはカメラで監視するようになったのだという。会議場の内部に入る。25年前、韓国側からこの部屋を訪れたとき、窓の外から朝鮮人民軍の若い兵士が好奇の目で我々観光客をのぞき込んでいた記憶が甦った。
 
将校にややきわどい質問をぶつけてみた。
 
「数年前、南で作られた『JSA』という映画を見ました。南北の兵士が偶然に仲良くなったものの、結局はふとしたきっかけで殺し合うという悲劇的なストーリーなのですが、どう思いますか?」
 
すると将校はあきれたような口調でこう答えた。
 
「ああ、『共同警備区域』のことだね。あらすじだけは聞いて知っています。でも、あんな荒唐無稽なことは起こりえないよ。それにね、あの映画には朝鮮戦争の当事者である米軍が出てこないでしょ。分断を南北の対立のせいにして、米国の責任を覆い隠そうとしているんじゃないか」
 
映画を見ていないというわりには内容を熟知していたので、私はちょっと驚いた。
 
9日は、平壌近郊の鶴山共同農場を訪れた。1946年の土地改革で創設されたこの農場には、現在740世帯、3600人が暮らしているという。管理委員長が言った。
 
「90年代後半の“苦難の行軍”の時期には、この村でも子どもや老人が飢餓で犠牲になりました」
 
だが、黄金色の田や、カラフルに塗装された新築の共同住宅を見ていると、遠い過去の出来事のようだ。実際、この村に限らず、農村部には真新しい住宅が数多く見られた。なかには平屋の一戸建てが立ち並ぶ地域もあり、玄関には表札が掲げられ、庭には青々と野菜が茂っていた。
 
続けて平壌外国語大学を見学した。日本語科の教室では漢文の授業が行われており、18人の学生がかしこまって黒板を見つめている。70歳前後と思われる老師が、はりのある流暢な日本語で講義を進める。日本からの帰国者なのだという。日本人教員はいないそうだ。
 
講義の後で学生たちに聞いた。
 
「このなかで自分から進んで日本語科を選んだ人は?」
 
女子学生が2人、そろそろと手を挙げる。学校関係者が困り顔で打ち明けた。
 
「金丸訪朝団が来たときは、日本語も人気があったんですがねえ。最近は日朝関係の影響で希望者が減りました。子どもを他の科に移したいといって学校に乗り込んでくる親もいるんです」
 
ひとりの女子学生が、私たちにこんな質問をした。
 
「私たちは日本と仲良くしようとしているのに、日本のマスコミはなぜ反共和国的な報道ばかりするのですか?」
 
同行したメンバーのひとりが、「それはアメリカに逆らえないからでしょうね」と答えると、教室が爆笑に包まれた。
 
その日の午後、平壌市育児院を訪れて医薬品などの支援物資を引き渡す。育児院とは、母親のいない子らを養育する施設だ。7年前に支援を始めたころは、泣く気力もなく横たわっていた子どもたちが、やんちゃ坊主に成長していた。しかし、粉ミルクは輸入でしかまかなえず、抗生剤・ビタミン剤などの薬品も入手が難しい。
 
続けて朝鮮新報(朝鮮総聯機関紙)の平壌支局を訪問した。そこで初めて支局長から「今日、核実験に成功したそうですよ」と聞かされた。昼のラジオと夕方のテレビで、短いニュースが流れたという。
 
核実験成功の事実以上に私が驚いたのは、その日の平壌の街があまりに平穏だったことだ。支局長とともに夕食をとりに夜の街に出たが、レストランでは店員も客も、何事もなかったような表情だ。ウエートレスのひとりに核実験成功をどう思うか聞いてみたが、少し恥ずかしそうに、「ああ、そうですか。忙しかったのでニュースを見てなくて知りませんでした」と答えただけだった。
 
その夜、同じホテルに宿泊していた、離散家族の再会運動をしているという在カナダコリアンの婦人と話を交わす機会があった。
 
「今日の夕方コンサートに行ったら、開演前に司会者がこう言ったんです。『わが国の核実験が成功裡に行われました』って。私はすごくびっくりしたんだけど、会場は静かなものでしたよ。ところどころからパラパラと拍手が聞こえただけ」
 
翌10日は朝鮮労働党創建61周年の祝日だ。街の様子が気になった私は、早起きしてひとりでホテルの近くを散歩してみた。
 
歩道には、自宅前を掃き清める人たちや、体操をする夫婦たちがいる。平壌の中央を流れる大同江のほとりへと足を向ける。犬を連れて散歩する女性、ジョギングをする青年たち、釣り糸を垂れる老人、バドミントンに興じる子どもたち……。
 
バス待ちの行列に混じって並んでみる。大きなリュックを背負った4、5人のおばあさんたちは、何を運んでいるのだろうか。こざっぱりとした身なりの若い女性は試験勉強なのか、本を片手に何やら暗唱している。
 
小腹が減ったので、パンと飲み物を売る屋台に立ち寄ってみる。コッペパンが3つ入った袋を指していくらか聞くと、1200ウォンだという。日本円か中国元しかないと言うと、外貨はドルしか扱わないということだった。
 
1時間ほど歩き回ってみた限り、核実験の影は街のどこにも見られなかった。
 
ホテルに戻り、朝食をとる。コーヒーを運んできた女性従業員に、昨日の核実験のニュースを見たかと尋ねてみた。
 
「昨日の夕方のニュースで見ました。もちろん戦争は望まないし、核はないほうがいいけど、アメリカが脅威を与え続けるなら、こちらも黙っているわけにはいきません」
 
口調はあくまで静かだったが、その表情からは強い自尊心がかいま見えた。
 
朝食を終えてから、市内観光に出かけた。家族連れでにぎわう動物園では、子どもたちがチンパンジーの芸に笑い転げていた。景勝地モランボン牡丹峰)公園では、ピクニックに来た人々が三々五々弁当を広げ、アコーディオンの伴奏で歌い踊る姿や、若いカップルが盛装して結婚式の写真を撮る様子が見られた。夕闇が迫るころには市内各所で祝賀の夜会が開かれ、若者たちが広場を埋めた。軽快な音楽に合わせて、あでやかなチマチョゴリが風に舞う花びらのように揺れ動く。
 



その平和な光景を見ながら、なぜか胸に込み上げるものがあった。日本による植民地支配、朝鮮戦争、飢餓……このささやかな幸せを手に入れるために、どれほど多くの血と汗が流されたことか。
 
北朝鮮の核実験に反対する」と口で言うのはたやすいが、日本がアメリカの核の傘の下にある現実を省みれば、その声はうつろに響く。彼らは言うだろう。朝鮮人以外の誰が朝鮮の安全を守ってくれるのか、と。
 
11日朝、気温がぐっと下がった。大同江の川縁に立つと、川面を渡る風が頬を打つ。祝祭の終わった街、人々が足早に職場へと歩いていく。
 
「ブッシュの朝鮮政策はひどい。カナダも朝鮮と国交を結んだけど、何も変わらない。でも、核実験をするまで朝鮮を追い詰めた一番の原因を作ったのは、何と言ってもジャパニーズよ」
 
在カナダコリアンの婦人の言葉が胸に突き刺さった。


 ―『一冊の本』2006年11月号(朝日新聞社)に掲載―

*1:その恐怖によって、北から南へと多数の朝鮮人が避難し、離散家族大量発生の一因となった

*2:朝鮮戦争はいまも休戦中であり、休戦協定の当事国は朝鮮・中国・アメリカの3カ国である。また、朝鮮は休戦協定の平和条約への切り替えをアメリカに対して求め続けているが、アメリカは拒否し続けている。

*3:拙エントリー「人工衛星光明星2号」の打ち上げ成功と日本の朝鮮蔑視感情」http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090405/1238921864を参照

在日朝鮮人の民族性と帰化について――あるいは、誰が朝鮮人か

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id:F1977さんのエントリー とりあえず、深呼吸しましょう。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜ブコメで、id:s-ryooさんと次のようなやりとりがありました。

 

s-ryooさん

在日コリアン≠コリアンだと思います。日常的に日本語を話し日本語で考える在日コリアンが実体としてコリアンよりは日本人に近いのは当然です。コリアンでもなく日本人でもない在日コリアンの主体性確立を願います。

mujige

在日朝鮮人が日本語を話し、民族性が外見上「薄い」のは、自然の結果ではなく日本の同化圧力・民族教育弾圧のせいだ。そうした在日文化を本国と切り離すのでなく、そこも含み込んで朝鮮の民族性を再構築してほしい。


それに対して、さらにs-ryooさんから、わたしのエントリー タケダ君の「リムジン江」――내 인생을 바꾼 노래 に、次のようなコメントをいただきました。


s-ryooさん

F1977さんのブックマークでのコメントの補足を。

在日コリアンが三世四世となるにつれて朝鮮半島のコリアンとは実体において離れたものになって行くのは、むしろ自然なことではないでしょうか。

高史明氏も「在日する限り朝鮮人としての実体を獲得する事は不可能だ」と述べておられます。

この事を否定的に捉えてしまうと、在日コリアンは「コリアンになりきれないコリアン」というコンプレックスに苦しむ事になってしまいます。

コリアンでも日本人でもない在日コリアンとしての主体性を確立して、韓国・北朝鮮と日本の架け橋となる道を探る事はコンプレックスからの解放の為にも必要だと思います。

本国を離れた民族集団の文化が現地の影響を受け、しだいに変化していくことは、ある意味「自然」なことかも知れません。しかし、在日朝鮮人のばあい、その言語や名前などの文化は、けっして「自然に」失われたわけではありません。

 
そのことは、たとえば民族教育が保障されている中国朝鮮族や、朝鮮学校出身で総聯コミュニティー内部にいる朝鮮人と、日本学校を出て日本社会のなかで「分子化」されている朝鮮人とを比べて見てもわかると思います。


こうした社会的条件を無視して、在日朝鮮人の文化変容を「自然なこと」と一般化してしまうことは、日本政府の民族弾圧政策を追認し、免罪符を与えしまうことにつながると思っています。たとえば、在日朝鮮人が日本語を話すことについても、それは決して「当たり前」でも「自然」なことでもなく、「わたしたち日本人が朝鮮人に日本語を使わせているのだ」という意識を持っておくべきだと考えています。


一方、それと一見矛盾するように思われるかも知れませんが、わたしは、言語、名前、食事、国籍、文化などの目に見える部分だけが朝鮮人の民族性だとは思っていませんし、そうした目に見える部分が「朝鮮人としての実体」だとも思っていません。つまり、朝鮮語ができないから、文化を知らないから、キムチを食べないから、日本国籍だから「コリアンになりきれない」とは思わないのです。


さらにs-ryooさんの主張でわたしが違和感を覚えるのは、朝鮮人の定義を誰が決めるのか、という問題です。


なぜ日本人であるわたしたちに、誰が本物の朝鮮人かを決める権利があるのでしょうか。また、なぜ日本人に朝鮮人と祖国を切り離す権利があるのでしょうか。さらに、これはid:rubio1919さんもコメント欄で提起されていましたが、なぜ日本人に「韓国・北朝鮮と日本の架け橋となる道を探る」ような生き方を朝鮮人に要求する権利があるのでしょうか。


たとえば、どこかに「本物の朝鮮人」がいるとしましょう。それはどこの朝鮮人でしょうか? ソウルの朝鮮人(韓国人)ですか? それとも平壌朝鮮人ですか? 済州島朝鮮人ですか? また、朝鮮の言語や文化も、朝鮮王朝の時代と、日帝植民地期と、解放後とで大きく変化していますが、どの時代の朝鮮人が本物の朝鮮人なのでしょうか? さらに、いまは朝鮮半島は南北に分断されて、南と北で言葉や風俗に多少の違いがあります(これもどちらが本物かを決めることなどできません)が、統一朝鮮が成立すれば、それもまた大きな変化が起こることでしょう。


このように、地域によって、時代によって、さまざまな朝鮮人がいるのに、どこの、いつの朝鮮人が本物かを問うことは、ナンセンスではないでしょうか。コンプレックスで苦しむ朝鮮人がいるとしたら、それは「誰が朝鮮人か」という定義がそもそも間違っているからではないのでしょうか。


また、在日朝鮮人を祖国と切り離された存在だと定義した場合、祖国とのつながりを大切にしたい人は、どうしたらいいのでしょうか。親子で、兄弟で、親戚で、国境をまたいで生きている朝鮮人はいくらでもいます。それなのに、在日か祖国かのどちらかを選ばないといけない、というのは、変ではありませんか?


むしろ、極論めいたことを言えば、「朝鮮人になりたい」と思っていることこそが、朝鮮人朝鮮人たるゆえんではないか、という気すらするのです。つまり、朝鮮や韓国に「本物の朝鮮人」がいるわけではなく、元山でわたしが出会った男の子のように、朝鮮人になろうとする過程(これを「統一」と言い換えてもいいかもしれません)こそが、朝鮮人の民族性というものではないか、と。


ですから、ひとつの朝鮮人のプロトタイプがあって、そこから遠いか近いかで民族性を測るのではなく、ソウルの朝鮮人も、平壌朝鮮人も、済州島朝鮮人も、猪飼野朝鮮人も、荒川の朝鮮人も、朝鮮語ができようができまいが、キムチを食べようが食べまいが、国籍が朝鮮であろうが、韓国であろうが、日本であろうが、みな等しく本物の朝鮮人であり、そうしたさまざまな朝鮮人を含み込んだかたちで、朝鮮民族というものが再構築されるべきではないのか、いや、これはわたしの希望ではなく、論理的に考えても、それ以外には統一した朝鮮民族というものはありえないのではないか、と思うのです。


実際、わたしが知っている朝鮮人で、「本物でない」朝鮮人など一人もいません。



次にid:rubio1919さんのコメントにお答えしたいと思います。


わたしは前エントリー タケダ君の「リムジン江」――내 인생을 바꾼 노래 で次のように書きました。


mujige

帰化は差別する側になること、という言葉は厳しいが論理的に正しい。日本人は朝鮮人に対して差別者なのだから。帰化は「個人的解決」の道ではあるが、それを朝鮮人に「選ばせている」のは実は日本の側なのだ。


もともとid:F1977さんのエントリー 「帰化」について - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜 に対するブックマークコメントだったため、かなり単純化した、乱暴な文章だったにもかかわらず、これに対してrubio1919さんから次のようなご丁寧な反論のコメントをいただきました。


rubio1919さん

帰化は差別する側になる」という言葉が持つ意味の解釈はとても難しいです。 正しいような気もするし、屁理屈のような気もする。 その言葉を発した人の心情を察すれば、「朝鮮人に対する差別者としての日本人」になることの抵抗を言っているのだろうと思う。 しかし、もしその人が、差別を避けるために日本名(いわゆる通名)を使っているのであれば、何のためにそうしているのか。 もし、差別を避けるために日本名を使っているのなら、差別を避けるために「帰化」をする論理と、どれほどの差があるのだろうか。


私は、結論を言えば、「帰化は差別する側になる」というのは、論理的に間違いだと感じています。 「差別する側」とは、実際に差別する人、差別を支持する人、差別は仕方がないと思っている人、自分は差別しないが差別に対して何もしない人、差別に対して問題意識も何もない人、であって、そうでない限り、差別される側の人間が差別を回避するためにとる行動自体が「差別する側になる」ことなどでは毛頭ない、ということは自明のことだと思っています。


まず、ここでいう「差別者」(あるいは「差別する側」)という言葉について、もう少しくわしく説明したいと思います。


わたしは「差別者」と「差別主義者」とは違うものと考えています。「差別者」は、社会的な差別構造上、形式的に差別する側に振り分けられた者を指し、「差別主義者」は、その差別の構造の上にあぐらをかいて、差別のある現状を放置し、あるいは積極的に被差別集団に対して差別的行為を行う者を指します。


つまり、rubio1919さんのおっしゃる「実際に差別する人、差別を支持する人、差別は仕方がないと思っている人、自分は差別しないが差別に対して何もしない人、差別に対して問題意識も何もない人」というのは、わたしの定義でいえば、「差別主義者」ということになります。


もしかしたら、rubio1919さんとわたしの言葉の定義が違うだけで、認識はさほど変わらないかもしれないという気もしているのですがですが、このことに関連してid:hituzinosanpoさんが非常に丁寧な説明をされていますので、こちらもご参照いただければと思います。

差別について。 - hituziのブログじゃがー


以上をふまえたうえで、たとえば、参政権のことについて考えてみましょう。参政権は国籍によって線引きをした、構造的差別です。


はてなハイクで、わたしは次のように書きました。
http://h.hatena.ne.jp/mujige/9234087094776331455

かいちゅう・せんせい(回虫先生)の「選挙制度について」は、せんきょに いくことが じつは さべつ せいどに くみする ことではないのか、という ラジカルな といかけだ。
 
せんきょけんの ない 「がいこくじん」を かぞくに もつ わたしにとって、せんきょの きせつは くつうでしかない。
 
1つう しか こない 「とうひょうじょ・にゅうじょう・せいりけん(投票所入場整理券)」は、いえの なかに ひかれた こっきょうせんだ。
 
はん・たいせい(反体制)の せいとうも なくなった いま、せんきょは 「にほんこく への しんにん とうひょう」でしかない……。


それに対して、ある人からつぎのような反応がありました。
http://h.hatena.ne.jp/big_song_bird/9234280608930228099

参政権が欲しければ国籍を取り給え


わたしは「外国人」に対して「差別者」です。それは国籍による差別という構造のなかで好むと好まざるにかかわらず、日本国籍保持者としての「特権」を持たされてしまっており、国籍差別の構造が変わらないかぎり、わたしが「差別する側」に立ってしまうことは、個人の良心のレベルでは変えられないからです。良心の痛みをなくそうとするなら、構造そのものを変えるために行動するしかありません。


一方、「参政権が欲しければ国籍を取り給え」とわたしに突っかかってきた人は、「差別主義者」です。国籍差別の現状を肯定し、固定化し、それにのっかって差別者として現在持っている優越性(特権)を守ろうとしているからです。


以上のように、国籍という線を基準に見れば、 「アプリオリ(先天的)な帰化者(=日本人)」であれ、「アポステリオリ(後天的)な帰化者」(by id:tmsigmundさん)であれ、“差別者の側に立たされてしまっている”というのが、わたしの認識です。


その一方で、たとえば戸籍を基準にみれば、わたしのような「アプリオリ帰化者」と、rubio1919さんのような「アポステリオリな帰化者」のあいだには明確な線が引かれて、差別者-被差別者の関係をつくり出しています。わたしは前エントリーで「朝鮮人日本国籍の取得は、植民地主義や民族差別問題の解決にはつながらない」と書きましたが、戸籍制度(と、それに支えられる天皇制)の存在が、その理由のひとつです。
 

もうひとつ、rubio1919さんが提起された「日本名を使っているのなら、差別を避けるために「帰化」をする論理と、どれほどの差があるのだろうか」という論点も、非常に重要だと考えます。


日本名(通名)か朝鮮名(本名)か、という選択をめぐる関係性は、国籍という線を基準にした差別−被差別という関係とは、同じではありませんが、また違った問題があるように思います。


たとえば、こんな視点があります。
恵まれし子らの自己責任

カミングアウトをしないことは、自分を偽っているだけではありません。
普通という安全圏に身を置きたがるということなのです。
普通でありたがることは何故悪くないと言えるのでしょう。
差別への貢献やファシズムへの貢献が悪いことであるならば、普通でありたがることは悪いでしょう。
普通という権力の範囲内で経験を積むほど、視野は狭まっていきます。
それしか道は有り得ないと思い込むようになっていきます。

 
【中略】
カミングアウトをすることは、権力からの保護を放棄する選択。
カミングアウトをしないことは、権力からの保護を受けることの選択。


しかし、カミングアウトをする責任は問われ、カミングアウトをしない責任は回避され、更に、その責任回避を可能にしているのは、抑圧する者の権力です。

もちろん、差別を逃れるために通名を使わざるを得ないような状況に責任のある、しかもカミングアウトすることすら必要のない「アプリオリ帰化者」が、朝鮮人に対して「通名を捨てて本名を名乗れ」などと言う権利はありません。

 
ただ、通名か本名かの選択をめぐって(その選択も、実は「自由な選択」などではなく、日本人の側が強制的に選択肢を与えている=脅迫しているわけですが)、それは単に個人的な問題解決というにとどまらない広がりを持っていることは、確認しておきたいと思います。

タケダ君の「リムジン江」――내 인생을 바꾼 노래

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※Kono burogu o Ro-mazi de yomitai hito wa ue no menyu- ni aru 「Roman ruby」 o kurikku site kudasai.

id:F1977さんのエントリー
「帰化」について - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜
を読んで、いろいろ思うところがあり、次のようなブックマークコメントを書いた。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090514/1242274005

帰化は差別する側になること、という言葉は厳しいが論理的に正しい。日本人は朝鮮人に対して差別者なのだから。帰化は「個人的解決」の道ではあるが、それを朝鮮人に「選ばせている」のは実は日本の側なのだ。

 
このところ、帰化日本国籍の「回復」に関するエントリーがいくつかみられるが、どのような名目があろうと、朝鮮人日本国籍の取得は、植民地主義や民族差別問題の解決にはつながらないと、私は考えている。もちろん差別から逃れるための個人的な「方便」として帰化をしようとする朝鮮人を非難するつもりもないし、その資格もないけれど……。帰化の問題については、時間ができたらあらためてエントリーを起こしたいと思う。


この話と直接は関係ないが、帰化にからんで以前、雑誌に寄稿した文章があったことを思い出したので、この機会に転載しておく。

タケダ君の「リムジン江」――내 인생을 바꾼 노래



 「なぜ朝鮮語を勉強するの?」いまでこそ聞かれなくなったが、誇張ではなく何百回と受けた質問。そのたびに、私はタケダ君のことを思い浮かべた。


 「タケダ君は朝鮮人だっぺ。帰化したんだどよ」


 焼酎を生(き)であおりながら、茨城弁で私にそう教えてくれたのは、通称“安(あん)ちゃん”だった。


 1980年。町工場が建ち並ぶ東京の下町。その一角に、閉鎖された工場があり、解雇された労働者たちが工場再開を要求して、事務所を占拠して住み着いていた。安ちゃんもそのひとりだった。


 当時、近くの学生寮に暮らしていた私が安ちゃんの工場に入りびたるようになったのは、その年の5月、韓国で起こった光州民衆蜂起がきっかけだった。駅前の公園で開かれた光州事件のスライド上映会をのぞき、主催者に誘われるままに付いていった先が、その工場だったのだ。


 そこは不思議な空間で、労働組合オルグ、○×派の活動家、沖縄出身の失業者の青年など、どこの誰とも知らない人たちが入れ替わり立ち替わり訪れて来た。彼らは日本の外務省や韓国大使館にデモに行き、街頭で署名活動をした後で、自分の家のような顔で事務所に上がり込み、飯を食い、酒を飲み、議論し、麻雀をして、気が向けばそこで寝ていくのだった。


 そこにタケダ君の姿もあった。時々、彼はひとりでギターを弾きながら、朝鮮の歌を歌っていた。


 「彼はなぜ帰化したんですか?」。私が聞き返すと、安ちゃんは「気になるなら、自分で聞いてみだらよがっぺ」と言ったが、私はついにタケダ君に帰化の理由を尋ねることができなかった。なんだかとっても立ち入ったことのようだったし、彼にはどことなく人を寄せ付けないような雰囲気があった。彼が歌う「림진강」(臨津江、リムジンガン)という歌と関係あるような気もしたが、朝鮮語を知らない私にはその歌の意味もわからなかった。


 人生を変えた歌、というものがあるとすれば、私にとっては「림진강」がそれかも知れない。タケダ君の「림진강」を聞かなければ、朝鮮語を学ぶことはなかったかも知れないし、そうすれば会社勤めをやめて翻訳稼業を始めることもなかっただろうから。


 映画「パッチギ!」でも歌われたフォーク・クルセダーズの「イムジン河」には、原曲にはない「誰が祖国を分けてしまったの?」という歌詞がある。朝鮮人に聞かせたら「お前だろ!」と返されそうな、この決まり悪い一節を耳にするたび、タケダ君の「림진강」を思い出す。


 帰化の理由を問うべきは、タケダ君ではなく、日本という国に対してだと気づいたのは、もう少し後のことだ。


月刊『イオ』(2008年2月号)に掲載

入管法改悪反対集会のお知らせ(5月13・24日)

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メーリングリストからの転載です。


入管法改悪がほとんど新聞報道もされず、当事者にも内容も知られぬまま、審議され、通ってしまう危険性がたかまっています。
関連して、今月13日と24日に2つの集会が開かれます。
法案批判の詳細はこちらをご覧ください。http://www.repacp.org/aacp/


審議真っ最中!
ここが問題!入管法・入管特例法改定案&住基法改定案
5月13日(水) 院内集会 第4弾
特別永住者にとってプラスになるか?」



【日時】 5月13日(水) 14:00〜15:00
【場所】 衆議院第二議員会館 第一会議室
【主催】 「在留カード異議あり!」NGO実行委員会


◆ますます広がる批判と不安の声に耳を傾けて!
【4回目のテーマ】「永住者・特別永住者にとって今回の法改定は」
【集会内容】
NGOからの問題提起 田中宏さん(外国人人権法連絡会共同代表)/佐藤信行さん(RAIK)
○当事者からの発言
○各党議員からの発言


現在国会で審議中の入管法・入管特例法の改定案の上程理由には、「適法に在留する外国人の利便性を向上させる」という文言が含まれています。では、永住資格を持つ人たちにとっては、どんな利便性向上が用意されているのでしょうか?


たとえば、在日コリアンなど「特別永住者」は、永住者を含めた他の「中長期在留者」とは異なり、IC在留カードではなく、「特別永住者証明書」を持つこととされています。しかし、従来の外国人登録制度が持つ問題点として、国連の自由権規約委員会からも指摘されてきた常時携帯・提示義務は、今回も残されています。また、「朝鮮籍」の特別永住者にとっては、再入国許可制度において不当な扱いを受ける恐れがあります。今回の法改定案はどう見ても、管理維持・強化の部分ばかりが目についてしまいます。


また、今回の法改定に限らず、「一般永住者」と「特別永住者」の扱いが大きく異なってきています。歴史的経緯を持つ朝鮮半島・台湾・中国出身者の中にも、一般永住者が多く存在しています。在日コリアンの中でも、特別永住者/一般永住者/永住者の配偶者等……と混在する家族が多いのです。


そもそも「一般永住者」ですら、なぜ在留カードを常時持ち、職場や学校などの情報を逐次報告しなければならず、日本に再入国する際に指紋情報を提供しなければならないのでしょうか? 結局、永住を持つほど日本に定着したとしても、強い管理の下で生活せざるを得ないということになるでしょう。これらの問題は、永住資格を持つ者だけの問題ではなく、外国人の人権をどう考えるかという根本に触れる問題です。


戦前から日本に住むオールドカマーも、今回の法改定には強く反対しています。その主張をぜひ一度聞いてください。


◆本集会前には、13:45より同会場で、キリスト教会関係者らによる今回の問題への声明文発表に関する記者会見を開く予定です。
◆「改定法案」批判の詳細は⇒ http://www.repacp.org/aacp/
◆お問合せ先
移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連) 
TEL:03-5802-6033   fmwj@jca.apc.org
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 
TEL:03-3518-6777
◆「在留カード異議あり!」NGO実行委員会
移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)/在日韓国人問題研究所(RAIK)/社団法人アムネスティ・インターナショナル日本/(社)自由人権協会/日本カトリック難民移住移動者委員会/反住基ネット連絡会/在日大韓基督教会関東地方会社会部/フォーラム平和・人権・環境/外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会/カラバオの会/在日本朝鮮人人権協会/中崎クィアハウス/山谷争議団 反失業闘争実行委員会/山谷労働者福祉会館活動委員会/在日アジア労働者と共に闘う会/在日コリアン青年連合(KEY)/聖公会平和ネットワーク

当事者の意見も聴かずに決めるんですか?
利便性が向上するって本当ですか?

「新たな在留管理制度」導入に抗議する5.24集会・デモ


4月24日、衆議院法務委員会で、「新たな在留管理制度」を導入する入管法・入管特例法改定案の審議がスタートしました。しかしその法案の対象となる外国籍者のほとんどは、法改定について知らされていません。入管法・入管特例法は、対象となるのが選挙権を持たない外国籍者であり、「自己決定」という民主主義の原則から外れた法律です。しかしだからこそ、対象となる当事者から意見を聴取する場が求められるのではないでしょうか。


また今回の法改定の目的の一つとして利便性の向上が謳われていますが、本当にそうなのでしょうか?たとえば「新たな在留管理制度」では、対象となる外国籍者に、住居地や配偶者との関係などの届け出義務を罰則(刑事罰)や処分(在留資格取り消し処分)つきで課しています。しかしもし本当に便利な制度なら、過剰な罰則や処分をつける必要が、なぜあるのでしょうか?


私たちは、当事者の意見を聴かずに進められる法案審議に抗議する集会とデモを下記ように開催します。当日は、参加者のリレートークを中心にすすめます。外国籍住民の声、「多民族・多文化共生社会」を求める街からの声を、国会に届かせましょう!


◆集会日時:5月24日(日)
14:00-15:30 集会
16:00-17:00 デモ(新橋〜銀座)
◆場所:交通ビル地下1階
(東京都港区新橋5-15-5) 
JR新橋駅(烏森口)より徒歩6分
〔地図〕http://www.kokuro.net/kaika004.pdf
◆集会内容:法案の概要説明・参加者のリレートーク
※リレートークでの外国籍住民の発言大歓迎!
※デモでのプラカードやバナー持参大歓迎!


【主催】
「新たな在留管理制度」導入に抗議する5・24集会実行委員会
【問合せ先】
移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)
tel. 03-5802-6033, mail. fmwj@jca.apc.org
在日韓国人問題研究所(RAIK)
mail. raik@abox5.so-net.ne.jp
【呼びかけ団体】
移住労働者と連帯する全国ネットワーク/外国人人権法連絡会/外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会(外キ協)/在日韓国人問題研究所(RAIK)/社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本 


◆法案批判の詳細は ⇒http://www.repacp.org/aacp/
◆多言語パンフは
・日本語版
http://www.repacp.org/aacp/pdf/MultiLang/20090420LeafJPv01.pdf
・日本語版(ふりがな付)
http://www.repacp.org/aacp/pdf/MultiLang/20090420LeafJPrubyv01.pdf
・英語版
http://www.repacp.org/aacp/pdf/MultiLang/20090420LeafENv01.pdf
スペイン語
http://www.repacp.org/aacp/pdf/MultiLang/20090420LeafSPv01.pdf

知らぬ間に過ぎ去った憲法記念日のために

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※Kono burogu o Ro-mazi de yomitai hito wa ue no menyu- ni aru 「Roman ruby」 o kurikku site kudasai.


※おことわり


もともとこのエントリーには、ある事件になぞらえた創作が書いてありました。


外国人の「女の子」を多くの「男たち」が取り巻いてヘイトスピーチを行うという設定でしたが、複数の読者の方から、ジェンダー・ロールのテンプレにはまったような表現になっており、さらにそれがマジョリティー=保護する者、マイノリティー=保護される者、というイメージを与える、との指摘がありました。


批判を受けてよくよく考えてみれば、実際の事件の構図がどうあれ、私の心の中に、そうしたジェンダー・ロールを受け入れてしまう余地があったと思います。また、ヘイトスピーチは被害者の年齢や性別を問わずに深刻な傷を与えるわけで、被害者と加害者の性的属性を色分けすることで、むしろ問題の本質を覆い隠すようなかたちになってしまったとも思います。


さらに、旧来の男女2分法的な性の枠組みに苦しむセクシャルマイノリティーの存在に対しても配慮が足りなかったとも考えています。


以上のことをふまえたうえで、本文を書き直し、上記のような説明文を付してアップしなおそうとも考えましたが、いざ書き直そうとすると、なかなか表現がまとまらず、自分で満足できるものが書けません。そこで、このエントリーはいったん削除させていただきます。


せっかく読んでいただいた方、スターをいただいた方、トラックバックを送らせていただいた方、ブックマークしていただいた方には、まことに申し訳ありませんでした。