「朝鮮人になりたい」

   

<まえおき>
Arisan氏の自己批判を批判する - lmnopqrstuの日記を読んで、その論理構成の緻密さに感心するとともに、日本人の心にいまも残る植民者根性、朝鮮人に対する優越意識にあらためて気づかされた。

同時に、5年前にハンクネット・ジャパン(朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン) *1の一員として訪朝した際に同会の会報に掲載した自分のエッセイのことを思い出した。

この機会に再掲しておきたい。

朝鮮人になりたい」−2004年ハンクネット(朝鮮人道支援ネットワーク)訪朝記


今回の訪朝(04年10月7日〜16日)も、いろいろな人に出会い、さまざまな話を交わした。


前回は飛行機の旅だったが、今回は初めて万景峰(マンギョンボン)92号での訪朝となった。一泊二日の航海は穏やかで、かつ意義深いものだった。


祖国への修学旅行に向かう朝鮮学校の子どもたちは、楽しい歌声を披露してくれたし、船内の喫茶室のコーヒーは注文してから一杯ずつ入れてくれる本格派で、おいしかった。食事の後の歓迎宴で、その喫茶室の女性があでやかなチマ・チョゴリ姿で出演して歌い出したのには驚いた。あまりに素晴らしい歌声だったので、後で喫茶室に寄って聞いてみると、音大の声楽家を出たのだという。


また、朝鮮で農機具製造工場を運営する在日朝鮮人の経営者からも、興味深い話を聞くことができた。最近の経済改革によって、工場が独自で農機具の部品を買い入れることができるようになり、各地の農村を巡回しては、故障したトラクターや農機具を修理し、喜ばれているという。


船の旅は費用も安く、体が楽だ。何と言っても、第三国を経由する煩雑さがないことがありがたい。朝鮮総聯の引率もあり、乗船と下船の際は若者たちが大量の荷物の積み卸しを手伝ってもくれる。いっしょに乗船した一世らしきおばあさんを見ながら、もし経済制裁で船の行き来がなくなったら、このおばあさんは二度と朝鮮の地を踏み、血縁に会うことはかなわないのではないか、そんなことを考えた。*2


元山(ウォンサン)では、水害対策委員会の関係者に会い、WFPがいかに厳格なモニタリングをしているか、その実態も詳しく(半ば愚痴混じりに)聞くことができた。米が配給された家庭に毎日職員が訪れ、一日でどれくらい米が減ったかを調べるのだという。


平壌ピョンヤン)では最近建てられた統一通り市場を覗かせてもらった。コメ、トウモロコシ、野菜などだけでなく、バナナなどの果物、衣類や電化製品まで、山と積まれた商品の間を、多くの買い物客がごったがえしている。韓国の南大門市場と比べてすっきりと整理されているところが、中央アジア諸国の市場を連想させた。


また、リサイクルされたWFPの袋に穀物を入れて堂々と並べているのを発見して、思わず笑ってしまった。「支援横流し」の“証拠”を隠し撮りした人間も、朝鮮では袋が貴重品として再利用されていることくらい知っていたのではないか。私たちも「隠し撮り」した映像をテレビ局に売れば、一儲けできたかも知れない。*3


もちろん、私たちの直接のパートナーである平壌育児院の子どもたちとの出会いは、前回のニュースで竹本代表が報告したように、うれしく、自分たちの活動が正しいものであることを確信させてくれた。院長はじめ関係者は、二日間に渡るわたしたちのしつこい聞き取り調査にも、丁寧に答えてくれた。あらためて感謝を述べたい。


それらの意義深い出会いのなかでも、最も強烈に私の記憶に残ったのは、元山の幼稚園でのワンシーンだ。同行した写真家の伊藤孝司さんが、子どもたちにレンズを向けながらこう質問した。
「大きくなったら何になりたいの?」


すると、一人の男の子が、ちょっと緊張した顔でこう答えた。


チョソンサラム(朝鮮人)になりたいです」


「立派な」とか「偉大な」とかいう形容詞抜きの、ただの「朝鮮人」。
その一言に、私はこの民族が歩んできた100年間の苦難を思い浮かべ、めまいを感じた。


日本人は、自分が日本人であることに何の疑問も持たない。生まれたときから、そして先祖代々、日本人であることが当たり前だと思っている。だから、日本人の子どもから「日本人になりたいです」という答えが返ってくることはありえない。


だが、朝鮮人は違う。国を、国籍を、言葉を奪われた朝鮮人は、朝鮮人であるために、命を懸ける必要があったのだ。


義兵闘争、3・1独立運動抗日パルチザン朝鮮戦争。何千、何万という朝鮮人が、朝鮮人であろうとしたがゆえに、倒れていった。日本においても、朝鮮人を育てる学校を守ろうとして、多くの人が投獄され、血を流した。


元山の男の子の「朝鮮人になりたい」という一言には、1910年に強制的に「日本人」にさせられて以来、朝鮮人朝鮮人になるために歩んできた、歴史が込められているように思う。


いまでも、朝鮮人が朝鮮の主人であることは、当たり前に保障されているものではない。国際関係の危ういバランスと、日々の闘いのなかで、ようやく保たれているのだ。


(2005年)3月1日の演説で韓国の盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領はこう語っている。


「わたしは拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解する。同様に日本も逆の立場に立って考えなければならない。強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、日帝支配36年の間の数千、数万倍の苦痛を受けたわれわれ国民の憤怒を理解しなければならない」*4


それに対して、朝日新聞は翌日の社説で冷たく反論した。


「植民地支配という歴史と北朝鮮による拉致は同じ次元の問題ではない。北朝鮮の対日非難に通ずるかのような物言いは、日韓関係にとって逆効果だ。……交渉の進展を妨げているのはむしろ北朝鮮である」


しかし、日本の植民地支配がもたらした被害は、朝鮮半島の北と南を問わない。すべての朝鮮人が被害者だったのだ。拉致も、南北の分断と緊張という背景のうえで起きた問題だ。朝日新聞の社説に代表される日本側の態度は、歴史に対する無知と無恥に基づくものに他ならない。


盧武鉉大統領の言葉は、「朝鮮人になりたい!」という元山の男の子の叫びを、そのまま言い換えたものなのだから。

                           

*1:ウェブサイト上はまだ旧称の「北朝鮮人道支援ネットワーク」と表示されているが、昨年末に「朝鮮人道支援ネットワーク」と改称した。

*2:現在は周知の通り、日本の対朝鮮経済制裁によって万景峰92号の運行はストップしている。

*3:RENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)が市場で隠し撮りしたWFPの袋の写真を「支援横流しの証拠」として発表し、一部メディアがこれを報道した。WFPは横流しの事実を否定している。参考:穀物袋を巡っての騒ぎ(ハンクネットのサイトから)

*4:参考:俵義文氏のホームページ