リンチの現場を見物していていいのかね?

※このブログには ときどき 漢字(かんじ)が つかわれています。漢字(かんじ)の にがてな ひとは うえの メニューに ある 「ひらがなルビ」をクリックしてください。

※Kono burogu o Ro-mazi de yomitai hito wa ue no menyu- ni aru 「Roman ruby」 o kurikku site kudasai.

それほど難しいことでもないし、非常識なことを書いたつもりもなかったのだが……。
ヘイトスピーチは犯罪である。犯罪者を見つけたら現行犯で逮捕しよう。 - 訳者あとがきβ版


箇条書きにするので、もう一度よく考えてみよう。


ヘイトスピーチは悪である。マイノリティーに対するリンチである。これは自明。(そう思わない人は、ここから先は読まなくていいです。)
それがどれほど深刻な傷を被害者に負わせるかは、たとえばid:lmnopqrstu氏の4月11日在特会デモという暴力についてを参照(必読!)。


・では、なぜ日本の国家権力・警察は、ヘイトスピーチを野放しにしているのか。取り締まる法がないから。


ヘイトスピーチ禁止法がないのは、しかたないことなのか。いや、すでに前エントリーの注であげているように、ニュルンベルク裁判の前例があるし、ヘイトスピーチを禁止する法を制定している国は世界にいくつもある。国際人権規約も、明白にヘイトスピーチを禁止している*1


・したがって、ヘイトスピーチを禁止する国内法がないのは、立法府サボタージュ、あるいは悪意による黙認でしかない。あとは技術的な問題だけ。


ここまではいいですか? 差別を憎み、youtubeで「国民大行進」のビデオを見物しながら在特会の頭の悪さをバカにする、良識ある日本国民のみなさん!


・では、ヘイトスピーチ禁止法を制定するために、運動しましょう! 声を集めましょう! メデタシメデタシ(いつ国会を通るかわからんけど……)。


ちょっと待った!


法が制定されるまで、ヘイトスピーチは垂れ流しでもいいの? いま、この場で、ヘイトスピーチによって“のり子さん”たちが傷つくのを、放置していていいの? その人たちにとって、人生は一回しかないのだよ。いったん傷つけられたら、その傷は回復不能なのだよ。在特会をバカにしたって、傷ついた側にとっては何の慰めにもならないのだよ。(それでもいい、という人は、ここから先は読まなくていいです。)


・となると、結論はひとつ。法ができるまでは、ヘイトスピーチを人民の実力で阻止するしかない。それを私は「現行犯逮捕」という言葉で表現した。もちろん、現行法によらずに逮捕したらそれは犯罪であるし、“犯人”をブタ箱にぶちこんでおくわけにもいかない。できることは、せいぜい差別表現が書いてある横断幕を取り上げるか、ぶんなぐるくらいのことだろう。(他に方法があるなら、教えてほしいんですが。いや、マジで。)


・それでも、ここで「現行犯逮捕」という言葉を使ったのは、蕨市での行動で逮捕された2人は、本来なら国の仕事であるべきヘイトスピーチの取り締まりを、国のサボタージュのせいで、代わりにやらざるをえなかっただけだ、ということを強調したかったから。ヘイトスピーチ禁止法があれば、一般市民による現行犯逮捕は違法でもなんでもない。いや、むしろ埼玉県警から表彰されてもおかしくない。(ここは単なるネタだから、ツッコミ禁止。逮捕された2人も警察から表彰なんて望んでないだろうし、私も断る。)


・もう一つ、id:CrowClaw氏が、“「犯罪者」を悪人呼ばわりするなら反動右翼と同じ。「敵」の言葉で会話してどうする?”というブコメを寄せていたけど、それは犯罪(crime)の定義の問題なんじゃないでしょうかね。もし日本でマイノリティーに対するジェノサイドが起きたとしたら、それを扇動した人間は人道に対する罪(crime against humanity)で犯罪者として逮捕し、裁くべきだと思うが。むしろ在特会や警察の側が「犯罪」という言葉を、入管法違反などというチンケな形式犯*2に対して恣意的に使っていることが問題ではないの?



つまり、一言で言うと、こういうこと。


いま、目の前で、マイノリティーに対するリンチが行われようとしているときに、法律がないからといって、そのリンチが行われるのを止めなくていいんですかね? みなさん。



<追記>
ブコメを読んでいて、当事者意識と緊張感のない、無責任な発言の羅列に、正直あきれてしまった(ウヨの皆さんはハナから対象外ですから、読まなくていいです)。これは、日本社会(というより、「我々日本人の存在そのもの」と言った方が適切だろう)が在日朝鮮人をはじめとする「外国人」に対して日常的に、毎日24時間、1年365日、構造的な暴力として作用しているという事実を理解していない日本人が多いからだろう。


既読の方も多かろうが、あらためて、次の在日朝鮮人による二つのエントリーを紹介しておく。ぜひ、全文に目を通して、“のり子さん”たちの傷の大きさとその回復不能性について想像していただきたい。


倫理の鏡 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜
それじゃ便乗して民族学校通ってた在日もちょっと書いてみるか。


こうした深刻な日常的暴力*3は構造的なものであって、「いい日本人もいる」「私はあんなバカウヨとは違います」と言うことで、その責任から逃れられるものではない(私自身も含めて)。


この「傷」について当事者に語らせること自体が、また一つの暴力でもあるのだが、私の非力さゆえ紹介させていただいた。ご了承願いたい。

*1:国際人権規約(B規約20条2項)「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。」

*2:つまり運転免許不携帯と同じレベル

*3:例えば、『私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃう』ことの、足下が崩れるような恐ろしさを、どうしたら我々は理解できるのだろうか