『二等兵の手紙』と『JSA』――59年目の6・25によせて。

※このブログには ときどき 漢字(かんじ)が つかわれています。漢字(かんじ)の にがてな ひとは うえの メニューに ある 「ひらがなルビ」をクリックしてください。

※Kono burogu o Ro-mazi de yomitai hito wa ue no menyu- ni aru 「Roman ruby」 o kurikku site kudasai.


映画『JSA』でいちばん胸の痛かったシーンは、仲良くなった南北の兵士が子どものようにくったくなく遊び回る場面だった。分断されていなければ、彼らは幼なじみとして、同じ学校の校庭や、村のあぜ道で、あんなふうに遊んでいたに違いない。


映画で南の兵士が北の兵士に聞かせるキム・グァンソクの『二等兵の手紙』*1。北で、南で、同じ若者が、軍に行き、貴重な青春を浪費する。そして、互いに殺し合うための訓練をする。この歌を北の兵士はどう聞いたのか。


平壌から板門店を訪れた際に聞いた、朝鮮人民軍将校の『JSA』についての感想。
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090525/1243237413

「ああ、『共同警備区域』のことだね。あらすじだけは聞いて知っています。でも、あんな荒唐無稽なことは起こりえないよ。それにね、あの映画には朝鮮戦争の当事者である米軍が出てこないでしょ。分断を南北の対立のせいにして、米国の責任を覆い隠そうとしているんじゃないか」


映画は観ていない、と彼は言った。しかし、彼の感想は、実に正しくこの映画の欠落を突いている。映画には米軍兵士は姿を見せず、徹頭徹尾、分断を「民族同士の悲劇」としてのみ描いている。また、キム・グァンソクの歌にしても、タレントの写真にしても、支給品のチョコパイにしても、すべての情報と物資は「南から北に」与えられる。北側がもっと「豊か」で「自由」になれば、統一が自然にやって来る、という隠れたメッセージとして受け取るのは、勘ぐりすぎなのか。


【その時の今日】北の挑発が呼んだ悲劇の6・25*2− 産業化・脱権威触媒剤の役割も(韓国・中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=117133

6・25の悽絶な記憶を常に再生する離散の苦痛も巨視的に見るとき、個人史の悲劇を超える社会的動力を新たに作ったように見える。特に大韓民国の飛躍的発展に貢献した。1950年12月3日、氷のように冷たい大同江を渡って後退する国軍に付いて平壌を発つ避難民(写真=戦争記念館)らもその同じ脈絡と見られる。戦争難民の大量発生はディアスポラ(Diaspora)の悲劇をもたらしたが、裏面では静寂な伝統的農業社会で動的な近代産業社会への変化を触発する都会化の進行を導き出した。


人間万事塞翁が馬、とでも言いたげな、この韓国の新聞記事にも、やはり朝鮮戦争の「主役」であるアメリカは出てこない。冷たい大同江を渡った難民の群れは、何から逃れようとしていたのか。その一つが、平壌に落とされると噂されたアメリカの核爆弾であったことは、「文明化」の輝きのなかに溶け込み、忘却されている。なるほど、たしかに核も文明がもたらしたものではあった。


『JSA』と、この新聞記事には、アメリカと並んでもう一つの「不在」がある。
日本だ。


朝鮮戦争で日本が果たした直接的役割――米軍の兵站、旧軍による機雷処理、仁川上陸に参加した者もいた――は言うに及ばないが、より根源的な原因を、アメリカの歴史学者ブルース・カミングスはこう指摘する。
http://d.hatena.ne.jp/ytoz/20090308

……南北いずれの側の挑発が朝鮮戦争の誘因になったかについても的外れの思い違いが横行しているように思う。私からすれば韓国の警察と軍隊が日本の手先をしていたいわば反民族的朝鮮人の手に握られていたことこそ、北に対する決定的な挑発であったように思う。韓国軍の参謀や指揮官のすべてがかつての帝国軍人であり、例えば38度線に配置されていた韓国第一師団の司令官金錫源などは、帝国軍人〔陸士第27期、陸軍大佐〕として特別に編成された金日成討伐部隊の隊長を務めた人物であった。朝鮮人としては朝鮮人同士で決着をつけるべき問題があったのであり、戦争のそもそもの始まりは日帝下の植民地時代にまで遡る。日本人が播いた種は風であったが、朝鮮人が刈り入れたのは嵐であったのだ。

――ブルース・カミングス『朝鮮戦争の起源』第1巻より


その構図は、開戦から59年たった今も、なお変わっていない。いや、日韓米の指導者の顔ぶれを見ると、ますます明確になりつつあるように思われる。「朝鮮戦争は日本に役立った」と公言する日本の首相は、強制連行した朝鮮人の血を吸って太った炭鉱の息子である。韓国の大統領は、朝鮮戦争で米軍の建設工事を請け負って財閥へとのし上がった建設会社の元会長である。そしてアメリカに初の「黒人」大統領が誕生したのは、もちろん朝鮮戦争で“アカと勇敢に戦った”黒人兵たちの犠牲の代価である。


それらすべてを「北の核」という薄っぺらいカードが覆い隠してしまっている*3。世界にある3万発の核兵器のうち0.01%を手にしていると言われる朝鮮の指導者は、日本の植民地支配を逃れて中国に移住したパルチザンを両親に持ち、日本の討伐隊に追われてロシアの野営地で生まれ育った難民の息子であった。そして朝鮮戦争の際は再び米軍のB29による絨毯爆撃を避けて中国に疎開し、瓦礫の山となった平壌へと戻ってきたのだった。



<参考エントリー>
朝鮮民主主義人民共和国の核実験にあたってのハンクネットの声明
「核実験の日、ピョンヤンにて」―朝鮮はなぜ核実験をしたのか
人工衛星「光明星2号」の打ち上げと日本の朝鮮蔑視感情
朝鮮民主主義人民共和国の歴史的正統性に関する若干の事実確認

*1:日本語字幕入りの映像は、このページ右肩の窓にある画面で見られる。 http://www.youtube.com/watch?v=GrJMzu0eHAc 軍の慰問番組で歌う姿が若々しい。キム・グァンソクは96年に自殺した。

*2:朝鮮戦争の開戦の日。1950年6月25日

*3:そのカードを華麗に装飾するのが「唯一の被爆国」という言説である。朝鮮大学校・外国語学助教、廉文成氏はその偽善を鋭く突いている。“在日朝鮮人は、ある国の核実験には「唯一の被爆国」として、ある国の核技術に対しては「同盟国」として、都合よく立場を変えるような国に居住し、さまざまな不当な暴力に晒されている。” http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/01/0901j0622-00005.htm