朝鮮の核実験に対する日本のメディアの反応と植民地主義


 朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮*1)は1月6日に「水爆実験に成功」したことを発表し、続く2月7日には地球観測衛星光明星4」号を打ち上げた。それに対して日本の新聞各紙は朝鮮を非難する論調一色になった。本稿では大手新聞の社説を中心に、沖縄の地方紙、日本共産党機関紙などを参照しつつ、日本のメディアが朝鮮の核実験とロケット打ち上げおよび金正恩体制をどう見ているかを探り、それを通して日本人が朝鮮に対して抱いているイメージがメディアの論調にいかに反映しているかを考えてみたいと思う。

【“乱暴”で“身勝手”で“非常識”な“北朝鮮”の“暴挙”】

 核実験が実施された翌日の1月7日、『朝日新聞』、『読売新聞』、『毎日新聞』、『産経新聞』、『日本経済新聞』等、大手全国紙はいっせいに関連社説を掲載したが、その内容はおおよそ次のように集約される。まず(1)朝鮮の核実験を非難し、(2)核実験に至った要因と朝鮮の政治体制などの背景について説明し、(3)朝鮮の内政への影響を分析し、(4)国際社会と日本の対応を提言する、というぐあいである。
 最初に各紙が核実験をどのように非難したかを見てみよう。朝日と産経の社説の出だしはそれぞれ「愚かというほかない。限られた国の資源を誤った国策にそそぎ、国際的な孤立をさらに深めるだけの暴挙である」(朝日)、「許し難い暴挙である。……あらゆる手段を講じて、北朝鮮の暴走を阻止しなければならない」(産経)と怒りをあらわにする。それ以外の各紙も「制裁決議に違反する暴挙は、断じて容認することができない」(読売)、「北東アジアの安全保障環境を揺さぶる重大な事態である」(毎日)などと朝鮮を一方的に論難する内容であり、そこに独自の論調の違いを見いだすのは難しい。
 とくに安倍政権の防衛政策に対する評価では両極にあるはずの朝日と産経が同じように「暴挙」と「暴走」という最大級の非難の言葉を並べて朝鮮を批判しているのが目を引く、一言で言えば、“朝鮮には朝鮮側の立場性と論理があり、それに従って彼らなりに「合理的」に行動しているのかもしれない”、という想像をしてみる姿勢が欠けているのである。
 次に、核実験に至った朝鮮側の要因と背景について、各紙はどう見ているのだろうか。朝鮮が核実験を行った動機について主要紙の多くが、「最も重視する米国との交渉を始めたいという思惑だろう」(朝日)、「米国との対話の再開を目指したものとの観測もある」(読売)などと、アメリカを対話に引きずり出すための交渉カードとして捉えている。
 また核実験のタイミングや背景について、朝日は「実験は唐突だった。過去3度と比べても乱暴さが際だった」などと、その暴力性と予測不可能性を読者に印象づけている。読売は、「幹部を相次いで粛清する『恐怖政治』で権力維持を図る金第1書記が、独断専行に拍車をかけている」と、独裁体制が核実験の背景にあると見ているようだ。それ以外の各紙も「閉鎖国家」(毎日)、「無法国家」(産経)などのレッテルを貼っている。つまり、「北朝鮮」は“乱暴”かつ“身勝手”で“常識外れ”な国だから、国際的非難を浴びても核実験を強行する、というわけだ。
 アメリカとの交渉カードという見方は、一つの有力な推測ではある。実際、昨年秋には朝鮮側がアメリカ側と極秘に接触し、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に切り替えるための交渉を提案していたことが明らかになっている。だが、もっと単純に考えれば、朝鮮が最も必要としているのは国の安全ではないのか。全国紙以外ではわずかに東京新聞(東京の地方紙)が、「米国など敵対勢力の核の脅威に対する自衛措置であり、敵視政策がなくならない限り、核開発の中断、放棄はしないと主張した」という朝鮮側の言い分を紹介している。それを正面から受け止めるなら、日本や韓国のように“核の傘”を持たない朝鮮が「限られた国の資源」と引き換えに核抑止政策に走るのは(核廃絶の理想が正しいことは当然としても)それほど不思議ではないだろう。
 では、各紙は核実験が朝鮮の内政にどのような影響をもたらすと考えているのかを見ていこう。まず朝日新聞金正恩政権にこう忠告する。「核武装は無謀な体制の維持に何ら役立たない。むしろ破滅へと導く逆効果しか生まない」。毎日新聞も「国際社会から孤立したままでは経済成長にも限界がある。無謀な行動は結局、自らを苦しめることにしかならない」と批判する。
 しかし、なぜ核兵器保有が体制を「破滅へと導く逆効果」となるのか、その根拠はいささか曖昧だ。もし核武装は破滅への道だとする朝日の忠告が正しいとするなら、すでに2006年の第1回から数えてこの10年間に4回にわたって核実験を行っている朝鮮は、いまごろ「破滅」していてもおかしくないが、そうなっていないのはどういうことか。
 朝日新聞自身、同じ社説の中で「北朝鮮経済は徐々に回復しており、特に首都・平壌は建設ラッシュや多くの物流で活気づいている」「金正恩政権は、父の正日氏時代には一度もなかった党大会を開くと宣言している。党内基盤を確立したという自信があってのことだろう」と、朝鮮の政治経済状況の安定・回復ぶりを説明している。毎日新聞も「北朝鮮の技術では不可能と思われていたことが、次々と現実になっているようだ。金正恩体制の北朝鮮は、核開発と経済建設を同時に追求すると宣言している。北朝鮮の能力への警戒を怠ってはならない」と、朝鮮が制裁の中で核武装と経済の立て直しを並行して実現してきた事実に驚きを示している。
 なぜ両紙はこのような矛盾したことを言えるのだろうか。日本のマスメディアはいまだに、金日成主席の死去以来、唱えられきた「北朝鮮崩壊論」に今も思考を縛られており、事実を積み重ねて朝鮮の現実を分析するというより、願望混じりの推測をもとに論理を組み立てているように見える。

【にもかかわらず“制裁”あるのみ】

 ただ、新聞各紙もこれまでの制裁が効果をあげなかったことは認識しているようだ。どの新聞も日米韓の連携によって中国を説得し、朝鮮を包囲すべきだとの主張では一致している。「(中国は)言葉だけでなく、厳しい行動でこそ北朝鮮指導部をいさめるべきだ」(朝日)、「国際社会による制裁措置の実効性を担保するためにも中国の役割は大きい」(毎日)「北朝鮮への圧力を強める観点でカギとなるのは、中国である」(読売)と、各紙は口をそろえて中国への“期待”を表明している。
 裏を返せば、制裁の実効性を担保するためには中国に頼るしかないわけで、日米韓にはもはや実効性のある手段が残されていないことを意味する。日本政府は2月10日、人、物、金の流れをほぼ完全に止める、独自制裁措置の強化を決定した。しかし、すでにこれまでの制裁の結果として、日本への船舶の寄港や朝鮮国籍者の入国は皆無に等しく、輸出入も途絶えて久しい。今回の措置で唯一「強化」されるのは、朝鮮総連関係者に対する再入国の原則禁止だけだろう。だが、再入国禁止とはすなわち、日本の植民地支配の結果として日本永住を余儀なくされた人々とその子孫が祖国を訪れて親族と再会する機会を奪うことに他ならず、国際人権規約にも反する極めて非人道的な措置だと言える。
 また、制裁とは「兵糧攻め」に他ならず、それが効力を発揮するとしたら、「苦難の行軍」の再現をもたらすわけで、食糧難民流出の影響をもろにかぶる中国がそれを望むことはなさそうに思われる。日本のマスメディアは朝鮮問題に関することとなると、制裁が個々の人々の人権と生活に何をもたらすのかを想像する力さえ失ってしまうようだ。
 さらに深刻なのは、それが中央紙に限らず、いまの日本のあり方に異論を唱えてきたはずの左翼の側も同じ論理に飲み込まれてしまっていることだ。
 例えば日本共産党機関紙しんぶん赤旗はこう主張する。「国際社会は北朝鮮核兵器の開発計画を放棄するよう、いっそう粘り強く、一致した対応を強めるべきです。……軍事でことを構える対応では、地域の平和も核兵器のない世界も実現しません。実効ある措置によって北朝鮮を対話による解決のテーブルに着かせることこそ、北朝鮮核兵器を放棄させ、核実験をやめさせる唯一の確実な道です」。たしかに軍事的対応こそ否定しており、「制裁」との言葉もないが、国際社会の「一致した対応」による「実行ある措置」とは何か。制裁以外には考えられない。事実、これまでの日本の制裁措置は、そのほとんどが日本共産党を含む国会の全会一致で決定されたものなのである。
 こうした「制裁あるのみ」という姿勢は、朝鮮が“常識の通じない無法国家”であるという前提に立ったものだが、そのような認識から抜け落ちているのは、現在の「国際秩序」が大国、中でもアメリカの核寡占体制に基づく“恐怖による支配”によって維持されていることへの批判的視覚だろう。また、朝鮮が朝鮮戦争以来、一貫してアメリカの核先制攻撃の対象とされてきた歴史的事実は、完全に忘却されている。
 朝日は1月6日に発表された朝鮮の声明について、こう批評している。「米国を振り向かせたい思いがにじむ。米国を非難する一方、北朝鮮の自主権を侵さない限り、核の先制使用や技術移転は『しないだろう』と付け加えた。相変わらず独りよがりな対外姿勢がうかがえる」。
 だが、朝鮮戦争停戦協定の第60項には、停戦後に双方が政治会議を3カ月以内に招集し、外国軍隊の撤退および朝鮮問題の平和的解決などの問題を協議することと規定されているにもかかわらず、アメリカは和平交渉を求める朝鮮応じず、韓国に軍を駐留させ続けている。また、核先制攻撃を否定せず、最近では核兵器搭載可能なB52重爆撃機を韓国上空に派遣している。朝日の言う「独りよがりな対外姿勢」は、むしろアメリカに当てはまるのではないだろうか。

慰安婦問題の日韓“合意”は対朝鮮戦略のための“手打ち”式?】

 もう一つ見過ごせないのが、昨年末の従軍慰安婦問題での日韓合意について各紙がいっせいに触れている点だ。「韓国との間の最大の懸案だった慰安婦問題の妥結で合意した……北朝鮮の軍事挑発こそ日韓がともに直面する問題だけに、これまで以上に協力関係を強化していきたい」(朝日)、「日韓両政府は昨年末、慰安婦問題で合意した。関係改善の機運を生かし、協力を深めるべきだ」(読売)、「日韓関係にほころびが目立っていたが、昨年末の慰安婦問題に関する合意を契機に改善の糸口が見えてきた。この流れを3カ国連携の再確認につなげたい」(毎日)、「日韓両国は昨年暮れ、慰安婦問題で合意し、関係改善を進めることを確認した。対北朝鮮での結束を、その成果として示してほしい」(産経)として、従軍慰安婦問題で「合意」した日韓両国が、ともに対「北朝鮮」問題で手を携えることを提言している。
 しかし本来、従軍慰安婦問題の「解決」とは、当事者の人権と名誉の回復、そして日本の朝鮮半島侵略の歴史を反省するためのものではないか。それを分断された侵略被害国の片方(韓国)だけとの「合意」を、もう片方(朝鮮)と敵対するための「結束」の材料として利用するのが当然とする論理は、どこから出てくるのだろうか。まさに慰安婦問題の“不可逆的解決”が人道・人権・歴史清算を目的としたものではなく、日米韓を中心とした東アジア戦略再構築のための“野合”であったことが、図らずも吐露された形だ。

【全メディアが声をそろえて批判した“弾道ミサイル”発射】

 日本のメディアは2月7日の朝鮮の人工衛星打ち上げに対し、むしろ核実験以上に激しい反応を示し、報道はさらに画一的になった。これは実際の脅威の重大さに応じたものというより、日本政府が危機をあおったのにマスコミが乗じた面が大きかったように思われる。事前通告のなかった核実験とは違い、衛星打ち上げは朝鮮によって事前に予告されていた。それを“奇貨”として日本政府は「ミサイル」破壊措置命令を出し、ロケットが上空を通過する沖縄県に地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備した。“北朝鮮のミサイルを迎え撃つ自衛隊”という“絵になる”構図に、マスコミが飛びついたわけだ。以下は主要紙の社説(2月8日付)からの抜粋である。

a)北朝鮮がきのう、人工衛星の打ち上げと称して、事実上の弾道ミサイルを発射した。……国連安保理決議に反する暴挙である。
b)北朝鮮が「人工衛星打ち上げ」との名目で、長距離弾道ミサイルの発射を強行した。愚挙の極みである。
c)北朝鮮が「人工衛星打ち上げ」との名目で、長距離弾道ミサイルの発射を強行した。……決して許されない軍事的な威嚇である。衛星打ち上げの技術は弾道ミサイルと同じだ。
d)北朝鮮が国際社会の制止を無視し、「衛星」と称する長距離弾道ミサイルを発射した。……国連安全保障理事会が追加制裁決議を協議している最中の暴挙だ。
e) 北朝鮮が事実上の長距離弾道ミサイルの発射を強行した。先月の核実験に続く暴挙である。

 上から朝日、読売、毎日、産経、日本経済の順だが、どうしてここまで足並みがそろうのか、不思議を通り越して、滑稽なくらいだ。世界のメディアの大勢は光明星4号を「ロケット」による人工衛星打ち上げと認め、韓国でもハンギョレ、京郷新聞などが「ロケット」と表記しているのと比べると、共産党機関紙*2も含むすべての日本のメディアが「長距離弾道ミサイル」と表記し、その統一ぶりは際だって見える。
 気になるのは、米軍基地問題では日本政府に対して鋭い批判姿勢を示す沖縄タイムス』『琉球新報』の沖縄2紙までもが「弾道ミサイル」と表記している点だ。たしかに沖縄タイムスは「通告通りに飛んでくるとは限らない飛翔体を誘導弾で打ち落とすことが果たして可能だろうか」とPAC3配備に疑問を呈し、琉球新報も「(在沖米軍基地は)北朝鮮の核を抑止する上でほとんど機能しない」と述べるなど、日本政府の防衛政策を批判してはいる。しかし、在沖米軍や自衛隊の存在が相手の目にどう映っているかを抜きにして、朝鮮の「ミサイル」発射を一方的に非難する姿勢は、本土のメディアと変わらない。沖縄自身が不本意ながらもその一翼を担わされているアメリカの対朝鮮戦略を根底から問い直さない限り、基地問題解決を訴える声も説得力を削がれるのではないだろうか。

【日本メディアの一糸乱れぬ“反北朝鮮”キャンペーン、その意味は?】

 それにしても、日本のマスメディアのこの一糸乱れぬ「反朝鮮」キャンペーンは、何に起因するのか。それを解くカギとして、過去にさかのぼり、中国初の人工衛星打ち上げを論じた朝日新聞社説(1970年4月27日付)を見てみよう。

中国が人工衛星を軌道にのせ、世界で五番目の衛星打ち上げ国になった。……70年代は、米ソ以外の多くの国が宇宙開発の分野に進出する年代である。当然各国ともそれぞれ独自の宇宙開発計画を持っているだろう。領土の広い中国では通信衛星のような実用衛星の役割を相当重視していることも推測にかたくない。今回の衛星は、そうした「宇宙技術開発の順調な始まり」と見るべきであり、中国が宇宙開発のような科学技術の重要分野で多くの工業諸国に先がけて実績をあげたことには、敬意と祝意を表したい。……
 たしかに、平和利用の技術は密接に軍事技術と結びついている。今回の打ち上げも、軍事的な能力に結び付けて考えないわけにいかないことは間違いない。……
 われわれは、こうした側面からのとらえ方にはそれなりの根拠があることは認めながらも、中国が今回の成果を平和利用分野での技術発展に生かしていくことを期待しないわけにはいかない。

 当時の朝日新聞は、明確な親中国路線をとっていたので、これだけでは扱いが不公平なのは当然だと思われるかも知れない。しかし、例えば読売は「かなり以前から予想されていたことで、いまさらのように驚くことはあるまい。……中国の核の脅威を必要以上に強調して、客観的には中国を敵視することになる“力による対応策”へ国民を誘導することは、日本の安全と繁栄にとって危険な道であることを銘記しなければならない」(同年4月28日付)、毎日も「冷静に考えれば……中国が米ソの核基地をたたくだけの第一撃能力体系を持ちうるとは思われない。……いたずらな感情論や観念論に基づく論議は、決して国民の願望する本当の安全保障をもたらすものではない」と、脅威論をあおったり、制裁を主張することなく、理性的な反応を示している。
 この時の中国もすでに核実験に成功しており、東西冷戦のさなかにあって、その軍事的意味は朝鮮の衛星どころではなかったはずだ。中国は日本との国交や国連代表権も持っておらず、もちろん発射の事前通告もなかった。日本の安全保障という側面から見れば、どちらが現実的脅威かは明白だろう。とするなら、日本のメディアが朝鮮の核とロケット発射を過剰に騒ぎ立てるのは、“それが朝鮮だから”という理由が、一つの有力な仮説として浮上する。
 そこで思い出されるのが、1923年の関東大震災後に中西伊之助労働運動家、作家)が日本のメディアの朝鮮観を論じた評論である。

私は寡聞にして、未だ朝鮮国土の秀麗、芸術の善美、民情の優雅を紹介報道した記事を見たことは、殆どないと云っていいのであります。そして爆弾、短刀、襲撃、殺傷、――あらゆる戦慄すべき文字を羅列して、所謂不逞鮮人――近頃は不平鮮人と云う名称にとりかえられた新聞もあります――の不逞行動を報道しています。それも、新聞記者の事あれかしの誇張的筆法をもって。
若し、未だ古来の朝鮮について、また現在の朝鮮及朝鮮人の知識と理解のない人々や、殊に感情の繊細な婦人などがこの日常の記事を読んだならば、朝鮮とは山賊の住む国であって、朝鮮人とは、猛虎のたぐいの如く考えられるだろうと思われます。朝鮮人は、何等考慮のないジァナリズムの犠牲となって、日本人の日常の意識の中に、黒き恐怖の幻影となって刻みつけられているのであります。……私は敢えて問う、今回の朝鮮人暴動の流言蜚語は、この日本人の潜在意識の自然の爆発ではなかったか。この黒き幻影に対する理由なき恐怖ではなかったか。中西伊之助朝鮮人のために弁ず」『婦人公論』一九二三年一一・一二月合併号)

 すでに関東大震災朝鮮人虐殺から1世紀が過ぎようとしている。しかし、「北朝鮮」の「不逞行動」に対する「新聞記者の事あれかしの誇張的筆法」は今もさまざまに形を変えて再現されている。それは現実の朝鮮民主主義人民共和国ではなく、「日本人の日常の意識の中に、黒き恐怖の幻影となって刻みつけられている」“不逞鮮人”のイメージに他ならないのではないだろうか。

米津篤八・筆、イム・ギョンファ氏の訳により韓国の労働党機関誌『未来からの手紙』29号、2016年3月号に掲載。)

            • -

*1:日本のマスコミ各社はかつて朝鮮総聯との取り決めによって、記事の中で最初に「朝鮮民主主義人民共和国」という正式の国号を用い、それに続けて「北朝鮮」との呼称を使用していたが、2002年の日朝会談以降、正式名称の使用を取りやめた。しかし朝鮮側はこれに強く反発し、正式の略称は「朝鮮」または「共和国」であると主張している。実際、「北朝鮮」は朝鮮半島北部という意味に過ぎず、国名のどこにも「北」は含まれていないのだから、略称としてふさわしいとは言えない。

*2:しんぶん赤旗』の2月7日「主張」欄。朝鮮のロケット発射予告を受け、他紙の社説より1日早く掲載されたもの。