ヒロシマに原爆は落ちたのか――歴史修正主義の行き着く先

前回のエントリーホロコースト否定派と「石鹸話」 に、こんなコメントが付いた。

引用先では「石鹸製造実験が行なわれたと供述する、イギリス兵捕虜たちとドイツ軍の役人の宣誓証言」があったと。
もし、石けんがなかったとすればこれらの証言自体も嘘、あるいは疑わしいとなります。
真実でない事が証言によって事実とされてしまっていた、というのはかなり重大な事と思います。


>証言に矛盾があるとか、写真が間違っている、などというレベルの「傷」を突く
歴史の真実とはそうやって紐解いていくものではないでしょうか。


石けんが疑わしいのなら、同様に証言だけで死体のないガス室も疑ってかかるべきと私は思います。


まさに歴史修正主義のやり口の見本ともいえる例が、期せずして向こうから転がり込んできたわけだ。このように歴史修正主義者たちは、個々の歴史事実に対してどのように誠実に対応し、反論したところで、まるでゾンビのように甦り、食いついてくるのだ。


「期せずして」と書いたが、石鹸の話を出した時点で、こうなることを予想しないではなかった。


実は、10年ほど前にHanBoardという掲示板(いまは停止されている)で、南京大虐殺に関して長々と「議論」が続いたことがあった。「南京大虐殺はなかった」と主張する人たちは、彼らの主張の論拠がどんなに覆されようと、何度も同じ論拠を持ち出してきて、また「なかった」と主張するのである。


まともに反論することもアホらしくなったが、「なかった派」の投稿を読んで、それを信じる人もいるので、放っておくわけにもいかなかった。そこで私は一計を案じ、一種の思考実験を行った。次に紹介するのは、そのときの記録である。


もう10年以上前に書いたものであるし、いささか気恥ずかしくもあるが、いまだにネット上で同じ愚行が延々と続いていることを示すためにも、また、negative_dialektikさんへの警告という意味でも、再度公開することにした。


第1回 世界はヒロシマを覚えているか(1)「ヒロシマ原爆も捏造だった?」


投稿は全部で6回。順次、mujigeの資料庫にアップしていく。

ホロコースト否定派と「石鹸話」

イカリングさんの「ブログ漂流」村上春樹の弁明に、

ナチスホロコーストユダヤ人を「石鹸」にしたなんていうデマはとうの大昔に具体的事実によって覆されています。

という記述がありました。

このエントリーの村上春樹批判に関してはもっともだと私は思っていますが、その論拠のひとつ(というか、話の枕?)として「石鹸話」があげられていたことには、首をかしげてしまいました。

ホロコースト否定派(歴史修正主義者)は、この「石鹸話」を足掛かりの一つとして、ホロコースト全体をなかっことにしようとしており、それを村上春樹批判のなかに織り交ぜることは、議論をいたずらに混乱させる役割しか果たさないと考えます。

「石鹸話」について調べるために、えらく消耗しました。ネットで検索して見つかるのは、ほとんどがホロコースト否定派のものばかり。
信用に足るものとしては、次のような記述くらいでしょうか。

●「人間の脂肪で作られた石鹸もない」? これは本当だが、読者をミスリードしている。非常に限られた実験的な規模で死体から石鹸が作られたという証言や証拠がいくつかあるが、噂されたような「大量生産」はけしてなされず、知られている限りで人間の死体から作られた石鹸は現存しない。だがしかし、石鹸製造実験が行なわれたと供述する、イギリス兵捕虜たちとドイツ軍の役人の宣誓証言があり、それはいまだに反駁されていない。また、人間石鹸の製造法を記した文書も、連合軍によって押収されている。ナチスが人類を材料に石鹸を作らなかった、と単純に述べるのは不正確である。


66Q&Aもくじから
ナチスがジェノサイドを実行した、または故意に600万人のユダヤ人を殺したという、いかなる証拠が存在するのか?

かくもおぞましい話が虚報であったなら嬉しいことですが、事態はかならずしもそうなりません。ナチス・ドイツが人間の脂肪からセッケンを作ったことは事実と見られています。ただ、それはユダヤ人や絶滅収容所とは関係のない実験の産物だったようです。グダンスク(ドイツ名ダンツィヒ)の解剖学研究所において、でした。ホロコーストとは無関係だったことは、イスラエル歴史学者イェフダ・バウアーが、きちんと認めています。ただし、バウアーがこうも述べていることを、忘れてはなりません。「正確でなければならない理由は、犠牲者やその親族に対する、また、何百万ものユダヤ人死者の記憶に対する、大いなる責任と深い尊敬を発揮しなければならないからである。ナチがやったことは、恐るべきことであった。彼らが考えはしたが実現する時間を持たなかった追加的な恐ろしい行為を、私たちは信じる必要はない。待ちかまえているホロコースト否定派は、私たちがうかつに犯すどんな誤りをも、熱心に拾い上げるのであり、私たちは彼らの『仕事』を楽にさせてしまうべきではない。」


ホロコーストを否定する人々から
石鹸とランプシェード
(ただし、インデックスからのリンクは切れているようです。)

ホロコースト否定派(歴史修正主義者)の論拠を論破したものとして、上記のサイト以外に次のようなものが詳しいです。
(この種の論争にお詳しい方は、すでにご存じかも知れませんが)

『アウシュウィッツ「ガス室」の真理』の虚偽
発言録特別編 -- 木村愛二氏とのガス室論争


ホロコースト否定派、南京大虐殺否定派など、歴史修正主義者たちの手口というのは、こうした細かな「傷」を見つけては襲いかかり、不毛な議論をつくり出し、あたかも「あったか、なかったか」という論争が続いているような状況をつくり出す、というものです。そうすることで彼らは、歴史と真摯に向き合おうとする人々を消耗させ、犠牲者たちをもう一度殺すのです。

それにしても、この「石鹸話」ひとつ調べるために、ほとんど徹夜することになってしまいました。私も歴史修正主義者たちが振りまいた地雷を踏まされてしまったのかも知れません。

再度言いますが、イカリングさんの村上春樹批判には賛同します。ですが、イカリングさんご自身が『いや、とりあえず「石鹸」問題はどうでもいいのです。』と書かれているように、村上春樹批判とは本質的に無関係な話をごっちゃにしないほうがいいのではないか、と思いました。

再び、朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星に関する報道について。

3月13日付けのエントリー朝鮮の人工衛星打ち上げ、なぜそんなに騒ぐ?ミクシィの日記にも掲載したところ、在日朝鮮人の友人から下記のようなコメントがあった。趣旨に全面的に賛同するとともに、はてなにも転載しておく。

一度、ウソをついてしまうと、それ以降もウソをつき続けなければならないということがある。ロケットをミサイルと誇張した報道を繰り返した日本のマスコミは、今さら引っ込みがつかないという状態になっているように思われる。朝鮮に関する報道は国策報道であり、同時に完全に日本のマスコミが形骸化していることが充分にうかがえる。


かつて種子島からのロケット打ち上げに失敗した際、それを取り上げた報道において、庶民に向けられた街頭インタビューにこういうのがあった。「多額の税金をつぎ込んで失敗してるんだから、北朝鮮(ママ)に正しい方法を教えてもらうしかないんじゃないの」という一幕がオンエアーされていた記憶がある。街頭インタビューにそう応えた庶民の皮肉から、案外、国家による情報操作に踊らされている庶民ばかりでないことがうかがえる。


そもそも日本は共和国を射程に置くイージス艦を破棄し、共和国と中国を宇宙から情報収集する軍事衛星4基も破棄しなければ、また共和国を主とした極東アジア諸国に対する先制攻撃のための武器も破棄しなければ、何の説得性もありはしない。


さらにもうひとつある。日本は共和国に対して、まず自国が殺した膨大な被害者に対して“死んだ人間を生き返らせて返す”義務がある。日本の外交は、それが可能だと要求しているのだから、まずはお手本を見せてもらおうではないか。

また、先日も紹介した浅井基文氏が、他者感覚の欠落と天動説的国際観−毎日新聞社説に思うこと−と題して、さらに毎日新聞の社説をはじめ日本のマスコミ報道の問題点を論理的に批判しておられる。その結論部分を引用しておく。朝鮮の人工衛星発射に憤る前に、ぜひ一読していただきたい。

今回の毎日新聞社説のかたくなな姿勢を見ていてつくづく感じることがあります。それは、他者感覚の欠落、天動説の国際観という日本社会を覆っている病理の根の深さということです。朝鮮の立場(他者感覚)で世の中を見たらどのような姿が浮かび上がってくるか、ということを考えようともしないこと(天動説的国際観)が、私たちが物事を正確に判断する可能性を奪っているのです。朝鮮のような貧しく、国際的に孤立している国家にとって、朝鮮を敵視する米日韓の存在自体が大変な脅威なのです。その米日韓がことあるごとに朝鮮に脅しをかけてきた、というのが朝鮮戦争以来の朝鮮にとっての国際環境なのです。朝鮮が軍事的に身構えざるを得ないのは、60年近くも続いてきた恐怖心故なのです。


イソップの寓話ではありませんが、朝鮮の恐怖心、警戒心を解かすためには、北風の冷たさではなく太陽のぬくもりが必要なのです。あるいは6者協議における「行動対行動」原則のように、相互信頼を積み重ねる長年の行動の蓄積が必要です。そういうことにはお構いなしで、日本国内では、あり得ない「北朝鮮脅威」論がはびこってしまい、私たちがまともに物事を見ることができなくなり、朝鮮を「お化け」扱いにする見方しかできなくなってしまっています。毎日新聞の二つの社説はまさにそういう産物なのです。これでは何時までたっても問題解決の糸口は見えてこないでしょう。問題の根幹は日本側にあることを深刻に認識しない限り。


mujigeの資料庫関連エントリー ルールと差別----あるいは、人工衛星と金嬉老事件。

チョムスキー−今年、平壌、ソウル同時訪問へ

チョムスキーが今年中にも南北朝鮮を同時訪問する意志を示したという。
ぜひ実現して、膠着した現状を打開するきっかけになってほしい。

以下、朝鮮新報から転載。

チョムスキー−今年、平壌、ソウル同時訪問へ
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/09/0909j0313-00001.htm


 反骨の知識人ノーム・チョムスキーマサチューセッツ工科大学教授が今年1月15日、南の月刊誌「民族21」の鄭己烈・中国社会科学院招聘教授のインタビュー(同誌3月号掲載)に応じている。


 80歳になったばかりだが、「知識人にとって必要なものは勇気であり、平等と平和の闘いだけが世界を変える」と相変わらず意気軒昂だ。


 ガンで長い間闘病中だった夫人が昨年末に他界。2年前の鄭教授によるインタビューの際には夫人を懸命に看護する氏の姿があった。


 「家内とは60年を共にしたが、この数年間は非常に困難な状態にある。けれど、われわれにはよい思い出もたくさんある。…家内が最期の日を迎えるまで、私はすべての海外旅行計画を取り消した。しかし、私が自由に海外旅行できるようになれば、真っ先にコリアを訪問するつもりだ」と語っていた。夫人の健康悪化で延期されていた平壌、ソウル同時訪問も、今年中に実現される見通しだという。


 オバマ政権の対朝鮮政策について「転換を期待するが、ブッシュの二期目政策を踏襲するだろう。より根本的な問題は、一般大衆がコリアを正確に知らないことなのだ」と指摘。朝鮮戦争で米軍が朝鮮各地のダムを無差別爆撃した事実に触れ、「狂信的な人種差別」だと激しく非難し、「朝鮮戦争は、一言でいえば、(米軍による)大量虐殺の歴史」だったと断言する。


 ピカソの絵にも朝鮮戦争を描いた「朝鮮の虐殺」という傑作がある。巨匠と呼ばれる人には、ことの本質を見抜く炯眼が備わっている。(粉)


[朝鮮新報 2009.3.13]

朝鮮の人工衛星打ち上げ、なぜそんなに騒ぐ?

朝鮮民主主義人民共和国人工衛星の打ち上げをアメリカにも通知していたという。
これは朝鮮がオバマ新政権に向けた、対話の呼びかけという意味もあるだろう。


・北「衛星」準備 米にも通知か
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200903/2009031300711&rel=m&g=int


また、朝鮮は国際的手続きに則り、人工衛星を打ち上げようとしている。
そのことはアメリカでさえも認めている。


北朝鮮、「衛星」打ち上げ通告 国際民間航空機関などに
http://www.asahi.com/international/update/0312/TKY200903120132.html

北朝鮮が宇宙条約への加入を通知、ロシア外務省
http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2009/03/12/0300000000AJP20090312004700882.HTML

・米国家情報長官「北が発射しようとするのは人工衛星
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/03/11/0200000000AJP20090311000400882.HTML


ところが、これでもまだ、日本は大騒ぎ。今朝の朝日新聞、2面の見出しもひどかった。

北朝鮮「衛星」ごり押し』

しかも、なぜいまだに「衛星」がカギカッコ付きなのか。
きっと、振り上げた拳の下ろしどころがないのだろう。


毎日新聞に、このあきれたメディア状況に釘を刺す、よい論説が載っていたので紹介しておきたい。

新聞時評「北朝鮮の人工衛星」批判社説に疑問 浅井基文・広島市立大学平和研究所長(3.10の記事)


浅井基文氏のウェブサイトにも掲載されている。
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/index.html


mujigeの資料庫関連記事 ルールと差別----あるいは、人工衛星と金嬉老事件。