再び、朝鮮民主主義人民共和国の人工衛星に関する報道について。

3月13日付けのエントリー朝鮮の人工衛星打ち上げ、なぜそんなに騒ぐ?ミクシィの日記にも掲載したところ、在日朝鮮人の友人から下記のようなコメントがあった。趣旨に全面的に賛同するとともに、はてなにも転載しておく。

一度、ウソをついてしまうと、それ以降もウソをつき続けなければならないということがある。ロケットをミサイルと誇張した報道を繰り返した日本のマスコミは、今さら引っ込みがつかないという状態になっているように思われる。朝鮮に関する報道は国策報道であり、同時に完全に日本のマスコミが形骸化していることが充分にうかがえる。


かつて種子島からのロケット打ち上げに失敗した際、それを取り上げた報道において、庶民に向けられた街頭インタビューにこういうのがあった。「多額の税金をつぎ込んで失敗してるんだから、北朝鮮(ママ)に正しい方法を教えてもらうしかないんじゃないの」という一幕がオンエアーされていた記憶がある。街頭インタビューにそう応えた庶民の皮肉から、案外、国家による情報操作に踊らされている庶民ばかりでないことがうかがえる。


そもそも日本は共和国を射程に置くイージス艦を破棄し、共和国と中国を宇宙から情報収集する軍事衛星4基も破棄しなければ、また共和国を主とした極東アジア諸国に対する先制攻撃のための武器も破棄しなければ、何の説得性もありはしない。


さらにもうひとつある。日本は共和国に対して、まず自国が殺した膨大な被害者に対して“死んだ人間を生き返らせて返す”義務がある。日本の外交は、それが可能だと要求しているのだから、まずはお手本を見せてもらおうではないか。

また、先日も紹介した浅井基文氏が、他者感覚の欠落と天動説的国際観−毎日新聞社説に思うこと−と題して、さらに毎日新聞の社説をはじめ日本のマスコミ報道の問題点を論理的に批判しておられる。その結論部分を引用しておく。朝鮮の人工衛星発射に憤る前に、ぜひ一読していただきたい。

今回の毎日新聞社説のかたくなな姿勢を見ていてつくづく感じることがあります。それは、他者感覚の欠落、天動説の国際観という日本社会を覆っている病理の根の深さということです。朝鮮の立場(他者感覚)で世の中を見たらどのような姿が浮かび上がってくるか、ということを考えようともしないこと(天動説的国際観)が、私たちが物事を正確に判断する可能性を奪っているのです。朝鮮のような貧しく、国際的に孤立している国家にとって、朝鮮を敵視する米日韓の存在自体が大変な脅威なのです。その米日韓がことあるごとに朝鮮に脅しをかけてきた、というのが朝鮮戦争以来の朝鮮にとっての国際環境なのです。朝鮮が軍事的に身構えざるを得ないのは、60年近くも続いてきた恐怖心故なのです。


イソップの寓話ではありませんが、朝鮮の恐怖心、警戒心を解かすためには、北風の冷たさではなく太陽のぬくもりが必要なのです。あるいは6者協議における「行動対行動」原則のように、相互信頼を積み重ねる長年の行動の蓄積が必要です。そういうことにはお構いなしで、日本国内では、あり得ない「北朝鮮脅威」論がはびこってしまい、私たちがまともに物事を見ることができなくなり、朝鮮を「お化け」扱いにする見方しかできなくなってしまっています。毎日新聞の二つの社説はまさにそういう産物なのです。これでは何時までたっても問題解決の糸口は見えてこないでしょう。問題の根幹は日本側にあることを深刻に認識しない限り。


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