タケダ君の「リムジン江」――내 인생을 바꾼 노래

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id:F1977さんのエントリー
「帰化」について - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜
を読んで、いろいろ思うところがあり、次のようなブックマークコメントを書いた。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/F1977/20090514/1242274005

帰化は差別する側になること、という言葉は厳しいが論理的に正しい。日本人は朝鮮人に対して差別者なのだから。帰化は「個人的解決」の道ではあるが、それを朝鮮人に「選ばせている」のは実は日本の側なのだ。

 
このところ、帰化日本国籍の「回復」に関するエントリーがいくつかみられるが、どのような名目があろうと、朝鮮人日本国籍の取得は、植民地主義や民族差別問題の解決にはつながらないと、私は考えている。もちろん差別から逃れるための個人的な「方便」として帰化をしようとする朝鮮人を非難するつもりもないし、その資格もないけれど……。帰化の問題については、時間ができたらあらためてエントリーを起こしたいと思う。


この話と直接は関係ないが、帰化にからんで以前、雑誌に寄稿した文章があったことを思い出したので、この機会に転載しておく。

タケダ君の「リムジン江」――내 인생을 바꾼 노래



 「なぜ朝鮮語を勉強するの?」いまでこそ聞かれなくなったが、誇張ではなく何百回と受けた質問。そのたびに、私はタケダ君のことを思い浮かべた。


 「タケダ君は朝鮮人だっぺ。帰化したんだどよ」


 焼酎を生(き)であおりながら、茨城弁で私にそう教えてくれたのは、通称“安(あん)ちゃん”だった。


 1980年。町工場が建ち並ぶ東京の下町。その一角に、閉鎖された工場があり、解雇された労働者たちが工場再開を要求して、事務所を占拠して住み着いていた。安ちゃんもそのひとりだった。


 当時、近くの学生寮に暮らしていた私が安ちゃんの工場に入りびたるようになったのは、その年の5月、韓国で起こった光州民衆蜂起がきっかけだった。駅前の公園で開かれた光州事件のスライド上映会をのぞき、主催者に誘われるままに付いていった先が、その工場だったのだ。


 そこは不思議な空間で、労働組合オルグ、○×派の活動家、沖縄出身の失業者の青年など、どこの誰とも知らない人たちが入れ替わり立ち替わり訪れて来た。彼らは日本の外務省や韓国大使館にデモに行き、街頭で署名活動をした後で、自分の家のような顔で事務所に上がり込み、飯を食い、酒を飲み、議論し、麻雀をして、気が向けばそこで寝ていくのだった。


 そこにタケダ君の姿もあった。時々、彼はひとりでギターを弾きながら、朝鮮の歌を歌っていた。


 「彼はなぜ帰化したんですか?」。私が聞き返すと、安ちゃんは「気になるなら、自分で聞いてみだらよがっぺ」と言ったが、私はついにタケダ君に帰化の理由を尋ねることができなかった。なんだかとっても立ち入ったことのようだったし、彼にはどことなく人を寄せ付けないような雰囲気があった。彼が歌う「림진강」(臨津江、リムジンガン)という歌と関係あるような気もしたが、朝鮮語を知らない私にはその歌の意味もわからなかった。


 人生を変えた歌、というものがあるとすれば、私にとっては「림진강」がそれかも知れない。タケダ君の「림진강」を聞かなければ、朝鮮語を学ぶことはなかったかも知れないし、そうすれば会社勤めをやめて翻訳稼業を始めることもなかっただろうから。


 映画「パッチギ!」でも歌われたフォーク・クルセダーズの「イムジン河」には、原曲にはない「誰が祖国を分けてしまったの?」という歌詞がある。朝鮮人に聞かせたら「お前だろ!」と返されそうな、この決まり悪い一節を耳にするたび、タケダ君の「림진강」を思い出す。


 帰化の理由を問うべきは、タケダ君ではなく、日本という国に対してだと気づいたのは、もう少し後のことだ。


月刊『イオ』(2008年2月号)に掲載