日本人の朝鮮語、朝鮮人の日本語――むすびつける ことば、きりはなす ことば


ちょうせんご(朝鮮語)の ほんやくを していると、ときどき ざいにち・ちょうせんじんから 「いいもの よませて くれて ありがとう」などと おれいの ことばを もらうときが ある。



そんなとき、うれしい きもちが ないではないけど、その いっぽうで こころぐるしいような もうしわけないような きもちにも なる。


なぜ ざいにち・ちょうせんじんが ちょうせんごの ほんを そのまま よめないのか。そして、にほんじんによって にほんごに ほんやくされた ものを よまなきゃ いけないのか。 それは にほんじんが ざいにち・ちょうせんじんから ちょうせんごを うばって にほんごを おしつけて いるからだ。


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わたしが ちょうせんごを まなぶことが できたのは、ちょうせんじんが ちのにじむ どりょくを し、あるときは もじどおり いのちがけで、にほん・ていこくしゅぎ(日本帝国主義)から ちょうせんごを まもり そだてた おかげだ。*1


そして わたしに ちょうせんごを まなぶだけの じかんと けいざいてき よゆうが あったからだ。


その かげで、ざいにち・ちょうせんじんの おおくは、にほんが せんそうに まけて そこくが かいほう(解放)されて からも、いきる ことに いそがしく、みんぞく・きょういく(民族教育)も だんあつされて、ちょうせんごを まなぶ ことが できなかった。*2


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にほんごに ほんやくしたとしても よめない ひとたちは いる。まずしくて せいかつに おわれ、にほんの がっこうに かようことも できなかった ざいにち・ちょうせんじんの ハルモニ(おばあさん)は おおい。そうした ひとたちにこそ よんで もらいたい ほんも あるのだけど、かんじ・かなまじりの ふくざつな にほんご ひょうきの かべは あつい。*3


もじの よみかきが できること。 ほんが よめること。 これは あたりまえの ことでは ない。 とっても ぜいたくな ことなのだ。 にほんが きんだいか(近代化)した けっかなのだ。 そして、にほんの きんだいかは、ちょうせんを しょくみんち(植民地)に したことと うらおもての かんけいに ある。


つまり――ざいにち・ちょうせんじんの おおくが ちょうせんごが できず、にほんごの よみかきも ままならない ひとたちが いること。そして、にほんじんである わたしが なんの ふじゆうも なく にほんごを よみかきし、ちょうせんごも できること――これは かんけいのない べつべつの ことがらでは ない。うらおもての かんけいに ある、ということだ。 にほんが ちょうせんを しょくみんちに した れきしの、ひとつの あらわれなのだ。


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わたしと ハルモニたちは、ひとつの れきしに よって せなか あわせに しばりつけられている。

 

*1:1931年に設立された朝鮮語学会が定めた朝鮮語正書法と標準語は、現在も南北朝鮮の言語政策の基礎となっている。同学会は1942に治安維持法違反で33人が検挙投獄され、2人が獄死(朝鮮語学会事件)。この事件で学会は解散し、編纂中だった朝鮮語辞典の原稿の相当部分が紛失した。

*2:解放後の民族教育弾圧の事例として、1948年の阪神教育事件がある。朝鮮人が自主的に設立・運営する朝鮮学校を日本政府がGHQの指令を口実に実力で閉鎖した。警官隊の発砲で当時16歳だった金太一少年が死亡した。http://www.ne.jp/asahi/m-kyouiku/net/50syuunen.htm http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/03/0803j0421-00001.htm 現在も民族学校各種学校扱いとされており、進学や税制などさまざまな不利益を被っている。http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/02/0802j0331-00001.htm

*3:たとえば朝鮮新報の記事『女性同盟大阪 生野東支部の1世同胞女性ら 9年かかって夜間中学を卒業「一度だけ学校に通いたい」』http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0408-00001.htmを参照。また、在日朝鮮人のための識字学級「オモニハッキョ」についてはid:F1977さんのブログに詳しい。