暴力と言論について――ある書物からの抜き書き

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先日、遅ればせながら、在特会の連中に常野さんがボコボコに殴られたという話を読んで*1、本来なら私もその場にいっしょにいてボコボコにされなきゃいけなかったのに、このところネットから離れていたせいで、事件そのものもしばらく知らないでいたことが自分でもふがいなく*2、何か書かなきゃと思いつつも、まとまったものを書いている時間もないので、どうしようかな、と思っていたところ、ふと本棚を見ていたら、むかし買ったこんな本があって、いま話題になっている「暴力」の問題についてピンと来る文章があったので、それを引用します。



出典:『謀略としての朝日新聞襲撃事件――赤報隊の幻とマスメディアの現在』エスエル出版会・編(1988年刊)41ページ〜



朝日新聞の内部から
A生(朝日新聞東京本社勤務)




小尻君*3の死について



・彼とは年齢も近いし、ひとごととは思えない。しかし、報道されればされるほど、彼の死は遠いところへ行ってしまう。
・まったくやりきれない出来事であるのは確かだが、その僕のやりきれなさとその後の「言論の自由を守れ」という大仰であまり中身のないスローガンとのすきまは、ずんずん広がっていくばかりだ。
・小尻君はなぜ死んだか。僕らの手の届かないところで、彼は英雄にまつりあげられ、彼の奥さんと子供はさらしものにされている。本当に彼が「言論の自由」を守るために死んだというなら、まずその「自由」の内実を問うことこそ、真先にしなければならないことではないか。
朝日新聞資本は今まで「言論の自由」を守るために命をかけたことがあっただろうか。



その後の朝日新聞



・警視庁が社内の一室を使用して、事情聴取を行っている。それに対して会社はもちろん、組合も何にも言わない。現在社屋は戒厳令状態。警備員は倍増しており、バッジの着用を社員に義務づけており*4、読者が記事に疑問があっても入ることはできない。
・ジャーナル*5で伊藤正孝編集長が、「いくらでも話は聞こう。だが殺すな」というもっともな巻頭言を書いていた。しかし、いまや記事に文句のある人が、編集部までたどりつくことはおそらく不可能だろう。
・現場は当面の忙しさにかまけていて襲撃のことを怖がっている暇はないようだ。Xデー*6も近いし。役員クラスのほうがびびっているという。ハイヤーの社旗*7もとりはずしている。


(中略)




事件の歴史的意義



朝日新聞はリベラルの代名詞のように思われているが、天皇報道については、決してサンケイ・読売にひけをとらない。新社屋完成以来、皇室三代*8が見学に招かれている事実をみても、権力側が朝日をどうみているかがわかるだろう。
・特に、今回の天皇報道はひどかった。社説では、これ以上ないやり方で天皇をほめあげていた。天皇の病気の特ダネは当然権力側のリークだろう。さっきあげたような警備の現状とあわせて考えれば、すでに守るべき言論の自由は存在しないといっていい。
・紙面では「陛下のお早いご回復を」とうたっているが、社内はすでにXデー体制に突入している。早くて、年内、遅くとも2年以内という前提で、資料を集め、予定稿を作成している。本紙・号外・雑誌の印刷スケジュールが、すでに分刻みで用意されている。つまり、民衆には天皇崇拝をおしつけておいて、自らは「不敬罪」的行為を遂行している。これほど本音とタテマエが違う業界もめずらしい。
・『ニューズウィーク』太平洋版(英語版)には、確かな筋の話として、天皇の検査結果はガンだといいきっている。それが日本版からは削除される。マスコミがよってたかって真実を隠蔽しているのだ。すでに「大本営発表」は過去のものではない。
・今度の朝日襲撃も当然、そうした状況を前提に考えねばならない。すでに守るべき「言論の自由」は存在しないこと。言論は人民の味方どころか、人民を愚弄しきっていること。マスコミは国家の暴力装置にたよらねば存立できない状況にあること。しかも、権力は現状のマスコミを守ろうとしていること。つまりマスコミ言論も非力な民衆にとっては暴力そのものであること。「言論の自由」をお題目のように唱えるまえに、この程度は考えておかないと、小尻君もうかばれまい。



言論と暴力



・暴力対言論という図式の立て方からして間違っている。
・マスコミ人はインテリが多いから、肉体への暴力には過剰に反応して騒ぎたてる。だが目に見えない暴力(核・軍隊・国家・資本等)には恐ろしく鈍感だ。たとえば、奥崎謙三の暴力は絶対にゆるせない、と筑紫哲也は強調している。しかし、奥崎の武器はせいぜいピストル一丁、しかも自分の体をはっている。自分のしたことは正々堂々と認め、責任をとっている。国家の暴力とはくらべものにならないし、国家は決して責任をとらない。考えてみれば、国家権力が味方についているのだから、マスコミがそれに責任を感じないのは当然といえる。
・暴力から言論の自由を守るといいつつ、チンピラ右翼とは桁違いに大きな暴力装置である警察によって守ってもらおうとするのは、全くもって矛盾している。
・言論も暴力だ。そう認識してこそ、言論は民衆を国家の暴力から守ることができるのだと思う。守るべき「自由」とは誰の「自由」かを冷静に見つめ、その「自由」を脅かす力には、力をもって応えなければならない。一律に全ての暴力を排すべきだ、と叫ぶことは、国家の暴力を隠蔽し、民衆の抵抗権を奪うことを意味する。近代の言論の自由も、民衆が王様の首をちょん切った日から確立されたのだ。
・マスコミ労働者のなかにはまだまだ良心的な人も多い。しかし、ぼくらは一握の砂だ。もう個人個人の良心ではなにもできない状況に来てしまっているのかもしれない。でも、ぼくはそうした流れに抗い続けたい。それこそが小尻君の死をぼくらの手にとりもどす唯一の道なのだろう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/toled/20090929/p1

*2:知っていたら何かできた保証もないし、その場にいたらどうしたかもわからないけど

*3:小尻知博記者。朝日新聞阪神支局に勤務していた87年5月3日、赤報隊を名乗る男に散弾銃で撃たれて死去。享年29

*4:いまでは顔写真入りのIDカードになっているとか。他の企業や役所もそうか。社会全体が戒厳令状態になったわけですね。

*5:むかし「朝日ジャーナル」という週刊誌を朝日新聞社が出しておりました。

*6:昭和天皇裕仁の死のことを、当時はこう言っていました。

*7:黒塗りのハイヤーに海軍旗みたいなのがハタハタしていた。

*8:裕仁明仁徳仁の三人。